生き方エッセ―/支え、支えられる同胞社会を 金仁淑


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 私は今、10月の末に出産した第3子を抱きながら穏やかで幸せな時を過ごしている。からだも大きく、ミルクの飲みっぷりも見事だった長男とは違い、小柄でおとなしい女の子だ。やさしくあどけないこの子の寝顔をみていると、5年前に亡くした長女のことが思いだされる。

 愛するものの突然の死…。それは生れつきの難病を抱えながらも、少しずつゆっくりと成長してゆく「小さな幸せ」をかみしめながら過ごしていた私たち家族を、地獄の底へと突き落とす出来事だった。

 私が毎日考えることと言えば、亡くした子の後を追うことばかり。夜は眠れず、食事ものどを通らず、涙は枯れ果て、唯一やる気のでることといえば長女の好物を遺影へ供えてあげることだけだった。はたからは、まるで死人のように見えただろう。

 そんな私を救ってくれたのは、周囲の人々の大きな愛だった。子を亡くした悲しみは同じであったろうに、静かにそして優しく包んでくれた夫の愛、そして両親、友人たちの深い思いやりがあったから、今日のこの幸せな日を迎えれることができた。

 私は今、ようやく思えるようになった。人は1人では生きてゆけない。色々な愛に支えられながら生きてゆけるんだと。

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 大不況、リストラ、幼児虐待…毎日聞こえてくるのは世紀末的な事件、事故のニュースばかり。そんな暗く不安な時代だが、「豊かな同胞社会を」との声が高まり、少しずつ障害児・障害者、高齢者問題など福祉問題へトンポたちの目が向けられるようになった。

 私も以前は大多数の人と同様、無関心であった。でも今は、自分が体験したことによって目をむけ、正面から向き合えるようになったと思う。

 「無関心」は時に残酷な「差別」を生む。「遠慮」という体のいい言葉は人々の間に厚い「壁」を作る。

 トンポの中にも色々な境遇や苦しみを持った人、心や体に傷や病を持った人がいる。そんな人々に理解と愛を持って接すること、それがより豊かな同胞社会を築くための第一歩だと思う。私もそんな同胞社会を担う一員でありたい。

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 人を支え、また支えられながら共に生きるそんな心豊かな同胞社会の中で21世紀を担うこの子供たちを育てていきたい。

 長女の死は私の人生を大きく変えた。その悲しみは消えることはないが、得たものはとてつもなく大きい。その一つ一つが、今私の人生をプラスに変えている。

 もうすぐ長女の7回忌だ。彼女に恥ずかしくないよう、新しい命のため、これから幾重もの努力をせねばと心に誓っている。

 それから面とむかって言うのは少々照れくさいが紙面を借りて夫に言いたい。「ありがとう、そしてこれからもよろしく」と。

 (きむ・いんすく、東京・板橋区在住、ムジゲ会賛同会員)