私の会った人/コシノ・ジュンコさん
各界で際立つ活躍をしている人の共通の資質を1つあげると 何に対しても、偏見がなく、自由な心を持っていること ではないだろうか。
この人もそうだった。2番煎じが大嫌いというジュンコさんは、「デザイナーとしてどうせ行くなら最初に」と5年前、北京でのショーを終えたその足で平壌に飛んだ。未知な国へのあこがれが動機だった。日本での朝鮮への偏見など全く寄せつけない国際性と行動力。
母アヤコ、姉ヒロコ、妹ミチコと共に世界を舞台に活躍するデザイナー一家。「祖父は戦前、大阪で呉服屋を開き、父が戦死した後母が戦後1人で着物文化を洋服文化に変革しようと頑張ってきたんです」。
父が亡くなった時、姉妹はまだ7、5、1歳。母は娘らをミシンの下に転がし、悲しみを縫い込むように仕事に没頭した。「『躾』という字は身を美しくと書きますが、寝る時間がないほど忙しくても、母は私たちにおしゃれな服や下着を作ってくれました」
その「エネルギッシュな母の背を見て育った」3姉妹は、それぞれが成功してブランドを発表、輝く舞台に飛び出した。
さて、「世界のジュンコ」が見た平壌の印象は?
・「人はたくさんの物を手にすると、次にはそれが要らなくなり、シンプルになってくる。朝鮮は最初からそこに到達している。質素で余分な色のない美しさ。住むためにきちっと心と手がかけられた都だった」と語った。(粉)