生き方/エッセー執筆者座談会


参加者

「安さん   (外国籍かながわ県民会議委員)
張末麗さん  (教員)
申桃順さん  (ムジゲ会会長)

 10月4日号から連載を始めた「生き方エッセー 私の場合」。日常生活での出来事、こだわり、悩みなど、様々な事柄を発信してもらおうというのが趣旨だった。今回、それぞれが発信したメッセージについて、執筆者の中から「安さん(外国籍県民かながわ会議委員)、張末麗さん(神奈川朝鮮初中高級学校教員)、申桃順さん(ムジゲ会会長)に集まってもらい、意見を交換してもらった。
(司会、まとめ=金美嶺記者)


「  民族教育をプラスに

申  生活の問題アピール

張  外側からアクション

 ――エッセーで、それぞれが取り上げたテーマについて、なぜそれを書こうと思ったのか。

  外側から何かアクションを起こせないかと思っていた。丁度、外国籍会議委員の話があり、正当な方法で、在日朝鮮人の問題を訴えていく手段として生かそうと思った。とにかく色々な国、地域の人で構成されているので様々な問題が噴出する。その中で、民族教育について理解を得る作業は、少々オーバーな言い方をするとたたかいでもあった。こうした取り組みを少しでもほかの地域が参考にしてくれれば、と思った。

  4月から、次男のクァンホが東京朝鮮第4初中級学校に通うようになったこともあって、その不安と期待についてまとめてみた。障害児をかかえる家族の会、ムジゲ会発足の意味にもつながるが、在日朝鮮人の問題という大きな枠ではなくて、障害児をかかえた一母親として、生活の問題として訴えたかった。

 ムジゲ会は発足後、かなり反響があり、少し戸惑った。こうした問題に今まで、考えが及ばなかったということの裏返しだと思ったからだ。だから今は時間さえあれば、どこへでも行って、現状を訴えていくことが大事だと思っている。

 張 人生の半分を教員として過ごしてきた。高校卒業後、短大を出て、教員になった私を育ててくれたのは、生徒の父母、とくにオモニたちだった。卒業後、民族教育に携わる中で再び自分自身、オモニたちから色々なことを学ぶことができた。

 民族教育を受けたことを、1人でも多くの生徒が、その後の人生に何らかの形でプラスにしていければと思うし、その手助けをすることが生きがいだ。

 ――それぞれのエッセーを読んで、感じたことが沢山あると思うが。

  これまで、在日同胞の一員として深く考えることもなかった私には、エッセーを読むことで、新しい出会いになった。生活、環境それぞれ違うので、参考にしたいと思っている。

  申さんが「ムジゲ会は自分の生活面からの要求」と言っていたけど、その視点は大事なことだと思う。世の中には1人で悩んでしまう人が大半。そこから1歩踏み出して行動することが大事だし、発信することの必要性を改めて実感した。

  生活に関わる体験談が多くて興味が持てたし、私自身も書いた後、生徒の父母から電話をもらってうれしかった。

 申さんのを最初に読んで、以前、足の不自由な子がいるクラスを担任したことを思い出した。最初は少し悩んだけど、私はその子を特別扱いせず、皆より遅い時は、その子のペースに、でもサボったりしたら叱るというふうに普通に接した。

 修学旅行で金剛山に行った時、教員が止めるのも聞かず、皆と一緒に登りたいと言って、生徒たちがおぶって登ったことを思い出した。障害児と共に学ぶことは、双方にとって、決してマイナスではない。学校側、教員の準備も当然必要だが。


「  目を外に向けること

申  身近に感じる機会を

張  意見を述べ行動も

 ――同胞社会の一員としてこれからやりたいこと、望むことは何か。

  障害児を持った日本人の母親と話をしていて、何か少し違うというか、同胞同士でしかわからない微妙な感情を持った。現在、障害児問題における福祉面での差別はない。でも同胞のオモニと話していて、差別はないが、「そうそう」と、相づちをうつことが多かった。

 ムジゲ会を発足して色々な人から電話や手紙をもらい、意識にはなかった同胞ネットワークは必要だと思った。「ムジゲ会といえば、申桃順」ではなくて、皆と一緒にやっていきたい。そして、朝鮮学校でぜひ、ボランティアの日などを設定して、身近に感じる機会を持ってほしいと思う。

  外国籍会議の中には当然、色々な人がいる。そこでの訴え方として、絶対喧嘩をしない、言い過ぎない、ガツンという時は言う、というふうに、上手にやる必要があると思った。同胞社会をもっとオープンにし、総聯系でない同胞とも、国際的な視野で色々な形で手を結んでいくべき。朝鮮学校の問題は、歴史的な問題も含めてもっと広く訴えていく必要性を感じている。また、父母の1人として、朝鮮学校への期待は大きい。意見を述べあいながら、行動もしていきたい。

  「さん、申さんの話に私も同感だ。これからは教員だけでなく父母も意識改革をしないと、子どもたちが取り残されてしまう。同胞社会のしがらみだけで生きるのではなくて、同胞のネットワークは大事にしながら、目を外に向けていくこと。そういう環境を作っていくことが、必要だと思っている。