取材ノート


ウリマルでしか表せないもの

 久し振りに朝鮮語のシャワーを浴びた気分だった。文芸同大阪の演劇口演部の第1回公演「旗」(11日、東成区民ホール)でのことだ。

 長引く分断で故郷に帰れない1世の痛み、先祖に思いをはせる「チェサ」の空間…同胞の生活を描いた文学作品などがすべて朝鮮語で披露された。

 中でも会場を爆笑の渦に巻きこんだのは漫才「サッカーか結婚か」だった。サッカー指導に熱を上げる「熱血教員」と、婚期を逃すのではと息子の行く末を心配するオモニのやりとり。

 「お前が結婚しないと、あの世にも行けないよ」と結婚相談所に通い詰めるオモニ、結婚相手は「ヒロスエ」のように可愛くなくては、とオモニを困らせる息子とのやりとりは生活感あふれたものだった。

 会場の笑いの渦は、生活のすみずみにころがっている喜怒哀楽を素材にすれば、普段ウリマル(朝鮮語)を使わない同胞の心も、日本語に負けないくらい動かすことができることを実証していた。

 「ことばはわからないが、なぜかジーンとした」と語った観客がいた。

 彼らの心を揺さぶったのは、出演者が話す流ちょうなウリマルだったかも知れない。しかし、それ以上にウリマルに情熱を傾ける出演者のひたむきな努力ではなかったか。

 解放後、同胞たちが真っ先に始めたことは、子供たちにウリマルを教えることだった。多くの1世は肉親と生き別れになり、「オモニ」「アボジ」とふたたび呼ぶことなく、この世を去った…。ウリマルには数多くの同胞の思いが込められている。

 ウリマルでしか表現できないものがある。その「力」を見せてくれた出演者の努力が、広がりを持ってほしいと痛切に感じた。(張慧純記者)