時事・解説/「地下核施設疑惑」を斬る
米国が中心となって騒ぎ立てている共和国の「地下核施設疑惑」。平安北道大館郡金倉里にある地下構造物が「核関連施設」であるとして疑惑を呈しているものだが、確証は何もない。米ニューヨーク・タイムズ紙が昨年8月、米情報当局から説明を受けた米政府関係者の話として伝えたのがきっかけで、この情報が米国、日本、南朝鮮の間でキャッチボールされる形で膨らみ、「北の脅威」を煽る共和国圧殺策動に利用されている。これはかつて、香港の雑誌が米国筋の情報として伝えた「北の核開発」報道が実体のないまま膨らんでいった1993〜94年の「核疑惑」騒動と構図がまったく同じである。(基)
CIAが情報源/必要以上に「脅威」煽る日本のマスコミ
推測情報の拡散
「地下核施設」疑惑を最初に報じたのは、米紙ニューヨーク・タイムズ98年8月17日付。米情報当局から説明を受けた複数の米政府関係者の話として、「北朝鮮が新たな核兵器開発計画の中心と見られる巨大な地下施設を、寧辺の東北約40キロメートルの地点に建設している可能性がある」と書いた。また同紙によると、「米情報当局は、そのほかの情報を総合し、北朝鮮が地下に原子炉と再処理施設を建設するつもりだと米議会や韓国政府関係者に伝えた」と言う。「米情報当局」とは、マスコミでは一般的に米中央情報局(CIA)を指すのが常識だ。
日本や南朝鮮のマスコミは翌日、この報道を一斉に流した。とくに日本は、2週間後の8月31日の共和国初の人工衛星打ち上げを「弾道ミサイル発射」と言い張り、これと重ねて「北朝鮮の脅威」を騒ぎ出した。
「偵察衛星が発見した北朝鮮『秘密地下核施設』」(「週刊新潮」98年9月3日号)、「北朝鮮『年内にも再びテポドン発射』の緊迫情報を掴んだ」(「週刊ポスト」同年12月11日号)、「テポドンの地下基地化」(「フォーサイト」同年12月号)などと、「日本圏内に到達するミサイル発射」と「地下核施設」を組み合わせて強調。南朝鮮国防省は「北には地下施設が8000ヵ所ある」などとさらに脅威を煽った。
こうしたキャッチボールが繰り広げられる中、今年に入って日本政府首脳までもが「秘密核施設疑惑の解決」を公言(小渕首相の1月19日施政方針演説)するに至った。
さらにコーエン米国防長官の訪日(1月11〜14日)をとらえ、「北朝鮮・『3月宣戦』で日本自滅」(「週刊文春」1月28日号)、「『対北朝鮮開戦』シミュレーション」(「週刊ポスト」同月29日号)などと「3月危機説」を各週刊誌が書き立て、必要以上に「北の脅威」を煽った。
一連の流れからも分かるように、「地下核施設疑惑」とは、CIA情報をまずニューヨーク・タイムズが報道し、その推測報道を米、日、南でキャッチボールする過程で「疑惑」が拡散してまるで「既成の事実」であるかのように世論を誘導していったものである。
合意違反でもない
こうした推測記事を契機に、米議会が疑惑が解明されるまで朝米基本合意文の推進を中止するよう求めるなど、米国内の強硬派は共和国への圧力の材料にした。
米国は昨年11月、99会計年度(98年10月〜99年9月)の一括予算法案に持ち込まれた朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)への3500万ドルの拠出に関する米政府と議会の合意で、6月1日までに、「地下核施設疑惑」に関する米国の懸念を払うための措置を共和国と合意する、など7つの条件をクリントン米大統領が保証すれば、拠出可能とした。「査察」を強要し、それが受け入れられなければ朝米合意文の破棄まで示唆した。しかし「査察」規定は基本合意文にはなく、基本合意の履行問題と結び付けるのは不当な言い掛かりにすぎない。
「核関連」という問題についてカートマン朝鮮半島平和会談担当大使は、「確証はない」(朝日新聞98年11月21日付)と発言し、前米国務省朝鮮分析官で10数回の訪朝経験を持つキノネス氏も「核施設といういかなる証拠もない」(南朝鮮の雑誌「マル」98年11月号)と疑惑を否定している。
93年の「核疑惑」騒動
今回とまったく同じ構図
93年の「核疑惑」が浮上したのは、89年1月26日付香港ファーイースタン・エコノミック・レビュー誌が、米国筋の情報として、「北朝鮮が核兵器を開発している」と報じたことに端を発する。
翌90年2月9日、東海大情報技術センターが89年9月19日にフランスの地球観測衛星「スポット」が撮影した衛星画像を基に、「寧辺近くの川沿いで、原発施設と核燃料施設、研究施設と見られる人工建造物が分散配置されている」と発表。これを機に「核疑惑」が一挙に拡大された。
「核疑惑」はCIA、国務省、国防総省、そして日本、南朝鮮当局者らの間でキャッチボールされさらに膨らんでいく。
それらは「北朝鮮は今世紀末よりはるか前に核兵器開発能力を備えると思われる」(ソラーズ米下院アジア・太平洋小委員長)、「95年以降には核兵器保有が可能となろう」(南朝鮮の「90年度国防白書」)などと、どこまでも「…と思われる」「…となろう」式の推測と憶測にすぎなかったが、「北=核兵器開発」が一人歩きしだした。
しかし、朝米がニューヨークで初の高位級会談(92年1月、金容淳書記とカンター国務次官が出席)を開き、その後朝米会談が行われて会談は軌道にのった。そして94年10月21日、朝鮮半島での核問題解決と国交正常化のプロセスを明記した朝米基本合意文が調印された。