労働新聞社説に見る総書記の5年間
労働新聞1日付は「敬愛する金正日同志の思想と指導を忠実に戴こう」と題する社説を掲載し、1994年7月8日の金日成主席逝去後5年間の金正日総書記の活動について書いた。社説は総書記の活動業績について(1)先代領袖に対する道徳信義を貫いた(2)帝国主義者の孤立圧殺策動を粉砕し社会主義を守った(3)人民と共に「苦難の行軍」を歩み強盛大国建設の土台を築いた――と強調した。(聖)
主席の遺志継ぎ社会主義守る
最も厳しい時期
社説は2月1日付に掲載された。2月は金正日総書記の誕生日(16日)を迎える月であることから、労働新聞などではキャンペーンを張るのが常だ。とくに今年は、総書記が昨年9月の最高人民会議第10期第1回会議で「国家の最高職責」である国防委委員長に推戴されてから初めて迎えた誕生日である。
「この5年間は最も厳しい試練の時期」(労働新聞1日付社説)であったが、総書記が最高人民会議で国防委委員長に推戴され、同時に総書記の思想と指導を具現できる新たな国家システムが確立された。これは名実共に金正日時代がスタートしたことを意味する。
労働新聞など3紙の元旦の共同社説には「金正日思想」が初めて登場。昨年の共同社説は主席の遺訓を道標としたが、今年は総書記の思想を新時代の旗印とした。このことから、今年の共同社説は金正日時代の施政方針を示したものととれる。
このような経緯から、総書記誕生月の初日に5年間の業績を総括する社説が掲載されたことは、共同社説で指摘された新時代の到来を、より鮮明な形で表したものと言える。
道徳、信義を貫く
社説が指摘した総書記の業績は第1に、先代の領袖=主席に対する道徳信義を貫いた点だ。
それは何よりも共和国で3年の喪の期間が設けられたことに表れている。
総書記は主席の逝去直後に「金日成同志は永遠に我々と共にいる」とのスローガンを発表、95年12月25日には談話「革命の先輩を敬うことは革命家たちの崇高な道徳信義である」を労働新聞に発表し、社会主義建設を推し進めるために革命の先輩を敬い、彼らの業績を固守、発展させなくてはならないと強調した。
95年6月には党中央委などが錦繍山記念宮殿(旧錦繍山議事堂)に主席を永生の姿のまま安置する政令を発表した。
昨年の最高人民会議で修正・補充された社会主義憲法は金日成主席を「永遠の主席」と明記し、「主席の主体的な国家建設思想と国家建設業績を法制化させた金日成憲法」と指摘した。
主席は「後継者の特徴で基本を成すのは領袖と領袖の偉業に対する忠実性であり道徳信義だ」(主席の回顧録「世紀とともに」継承本第8巻)と語っているが、主席の後継者である総書記は自らの活動を通じてそれを実践した。主席が指導してきた社会主義建設を継続して推進していく意思を改めて示したと言える。
人民軍柱に国家建設
第2は、帝国主義者の孤立圧殺策動から社会主義を守った点だ。
総書記は主席逝去後初めて発表した論文「社会主義は科学である」(94年11月1日)などで社会主義体制を必ず守る決意を示していた。
それを保証したのが、朝鮮人民軍を柱に国家建設を進める先軍思想だ。これが「金正日思想」の根幹を成している。経済制裁が続く中、社会主義貿易市場の喪失や自然災害が重なって生じた経済的難局、「地下核施設」問題や「ミサイル騒動」を利用して体制崩壊を狙う国際的圧力が続く状況で、軍を強化し軍を柱に建設を進めてきたからこそ、朝鮮人民は社会主義体制を守ることができた。
強盛大国の土台築く
第3は「苦難の行軍」を人民と共に歩み、強盛大国建設の土台を築いた点だ。
共和国が「苦難の行軍」に入ることを宣言したのは96年の共同社説。そして、「その困難な峠を成功裏に克服した」と指摘したのが98年の共同社説である。これは社会主義体制を堅持できる保証ができたことを意味する。
その主な要因としては、「朝鮮革命の隊列が政治思想的に鍛練され」(98年の共同社説)、「指導者と人民の渾然一体」(労働新聞1日付)が成し遂げられたことが上げられる。また、総書記の度重なる指導によって軍が強化され、軍を中心に社会主義建設を推進する体制が整ったことも大きな要素だ。
昨年総書記は、自力で中小型発電所を多く建設し電力問題を解決した慈江道への現地指導を皮切りに、鋼鉄問題を解決するために咸鏡北道の城津製鋼連合企業所を、食糧問題解決の一環としてジャガイモ増産のために両江道大紅湍郡を訪ねるなど、経済分野に対する指導を精力的に行った。総書記は全国各地を隈なく歩き、人民と直接対話し、彼らと苦楽を共にした。
今年の共同社説は、政治、思想、軍事、経済的に最高水準に達した強盛大国建設のために経済問題の解決を強調した。総書記は経済分野への指導をより強化し、今年初めての指導対象として科学院を訪れ、続いて泰川発電総合企業所、江原道の土地整理作業を現地で指導した。