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時事・解説/非転向長期囚の北送還問題


 南朝鮮当局は「3・1節特別赦免」に際して2月25日、1508人を釈放したが、この中には非転向長期囚17人が含まれている。朝鮮赤十字会委員長はこれと関連して2月23日、「大韓赤十字社」総裁に書簡を送り、すでに釈放された非転向長期囚で元朝鮮人民軍兵士である金仁瑞(74)、金永泰(69)、咸世煥(68)ら3氏を戦争捕虜送還に関する国際法と朝鮮停戦協定の当該事項に基づき、1日も早く北側に送還させる措置を講じるよう求めた。また南当局が非転向長期囚全員を釈放し、家族のもとに帰すならば、それは「幅広い対話と接触の門を開くうえで重要な契機」になろうと指摘した。

 

国際法などに違反

 金仁瑞氏ら3老人は、朝鮮戦争(1950年6月〜53年7月)時に朝鮮人民軍、遊撃隊として参戦、戦争捕虜(経歴は別項)となった。そのため本来は国際法や条約、朝鮮停戦協定に基づき、停戦直後に送還されるべきだった。

 「捕虜の待遇に関するジュネーブ条約」と「ハーグ条約」(第20条)では、敵対行為終了後、速やかに捕虜を送還しなければならないと明記した。

 また朝鮮停戦協定(53年7月調印)は第3条51項で、送還を求める戦争捕虜を協定効力発生以降60日以内に該当側に送還するよう定めている。

 しかし南当局は、3氏のパルチザン活動を口実に戦争捕虜であることを認めておらず、送還をかたくなに拒み続けている。

 だが、国際人道法規範は、パルチザン活動をしたものを捕虜のカテゴリーに含むよう規定しており、「ハーグ条約(陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約)」第1条と第2条および「ジュネーブ条約」第四条一項では、紛争当事国の義勇軍や民兵、非戦闘員も捕虜として認めることを明記している。

 これらの国際法や条約に照らしてみても、彼らはまぎれもなく戦争捕虜である。

 にもかかわらず南当局は、金仁瑞氏を51年に逮捕し、高等軍法会議で「戦時下非常措置令違反」として懲役20年の刑を、咸世煥氏には54年、「北に忠実だった」という理由で無期懲役の刑を言い渡し、その後彼らが「思想転向」を拒否したとの理由で「政治犯」として30年以上も獄中生活を強要、過酷な拷問まで加えた。釈放後も、「保安観察法」に基づき監視と統制下に置かれているため、境遇は以前と何ら変わらない。

 まして彼らには現在、かたわらで看護し、世話をしてくれる肉親が南にはいないため、孤独な生活を送っており、機会あるごとに南のマスコミを通じて故郷への帰還の意思を示してきた。咸世煥氏は姉の淑女さんに送った往復書簡の中で、望みは祖国統一を実現して「懐かしい故郷、美しい平和な故郷の地を思いっきり踏みしめることだ」と語っている。

 金仁瑞氏の次女・貞沈さんと金永泰氏の長男・龍済さんは95年6月に訪日した際、それぞれの父親と電話で話し合い、「一生の半分以上を監獄で暮らしたなんてあまりにも残酷です。その父のことを思うと食事も喉を通らず、泣いてばかりいた」(貞沈さん)などと体を心配しながら、早期送還が実現することを願った。

 

世界最長の42年間

 今回、釈放された非転向長期囚17人も、自分の信念に基づき一つの思想を貫き、「思想転向」を拒否したとの理由で、30年以上にわたって獄中生活を強いられた。

 服役期間は、元朝鮮人民軍で世界最長の42年間服役した禹ヨンガク氏(71)を筆頭に、35〜38年が7人、30〜34年が9人。年齢は70歳以上が8人、69〜65歳が7人、61と56歳がそれぞれ1人。出身地は南が12人で北は5人だが、南出身のほとんどが朝鮮戦争中に北で結婚し、夫人や子供などの肉親が北にいる。

 釈放後、ウ氏は当局が要求した順法誓約書を拒否し非転向を貫いた理由を「良心の自由をこれ以上、侵されてはならないと考えたからだ」と語った。

 

30年以上「良心の自由」守り通す

金仁瑞(74)

26・11 平安南道徳川郡で生まれる。
50・8 非戦闘員として南の戦線に赴任。
51・11 パルチザン活動中に逮捕され、光州捕虜収容所へ。高等軍法会議で「戦時下非常措置令違反」として懲役20年(61年に満期出所)。
71・1 「反共法」で再逮捕、2年服役。
76・1 「地下党結成未遂」容疑で懲役5年。
81・2 刑期満了。「非転向」を口実に「社会安全法」を適用され清州保安監護所に移監。
89・10 「社会安全法」廃止で出所。
92・3 「月刊マル」(92年4月号)に手記を掲載。現在、光州の光の村「タンジェ院」で生活中。

 

金永泰(69)

31・7 平安北道定州郡で生まれる。
50・7 朝鮮人民軍に志願入隊、南の戦線に赴任。
54・2 戦闘で被弾し左目を失明。軍法会議で死刑を宣告されるが、その後懲役20年に、最終的には18年に減刑される。
71・7 満期出所。
75・7 「社会安全法」で再拘束。
89・10 「社会安全法」の廃止で出所。現在、光州の光の村「タンジェ院」で生活中。

 

咸世煥(68)

31・1 黄海南道甕津で生まれる。
50・7 ソウルで義勇軍に志願、忠清北道の俗離山一帯でパルチザン活動。
54・6 戦闘で負傷し、陸軍本部で「北に忠実だった」という理由で無期懲役に。
60 懲役20年に減刑。
73・6 満期出所、大田更生保護所に収容される。
75・7 「社会安全法」で再拘束。
89・8 「社会安全法」の廃止で出所。現在、大田の「愛の家」で生活中。