民族大団結で統一へ/90年代の歩み(2)
汎民族大会(1990年8月15日)
北、南、海外同胞が一堂に
1990年8月15日、板門店で「祖国の平和と統一のための汎民族大会」が催された。北と海外から同胞代表七百余人が参加したが、盧泰愚「政権」の妨害により南の全国民族民主運動連合(全民連)代表が参加できず、海外に滞在中の作家・黄皙暎氏が南側代表として参加した。
自主・平和統一・民族大団結の祖国統一3大原則に基づき、朝鮮半島の平和と平和統一促進を目的に開かれた同大会は、北と南、海外の全民族の団結と統一への意志を結集した民族の大祭典だった。
汎民族大会は、南の在野人士1014人が88年8月に提案、これに北側も応じて開催に至った。北側は90年7月、南北間の積極的な接触と往来のため8月15日から板門店北側地域を開放、北を訪問する同胞の安全を保障すると明らかにするなど、開催のため努力を惜しまなかった。
しかし、盧「政権」は「窓口一本化」を口実に、民間による大会開催を妨害した。6月に西ベルリン(当時)で開かれた第1回予備会議への全民連代表の参加を妨害。さらに、盧泰愚が7月に発表した「民族交流案」では大会を「北の主催」とわい曲し、「各界各層を参加させるべき」と主張、反統一的な極右反共団体まで参加させて破たんさせようとした。ソウルで予定された第2回予備会議では北側代表のソウル入りを阻み、開催を徹底して妨害した。
しかし、こうした紆余曲折の中でも準備は進み、予定通り8月15日に板門店で開かれた。その当日、当局は戦警1万6000人を投入して延世大を出発した学生1万余人の板門店行きを妨害、弾圧。だが、同大学で採択された文書が大会あてに送られたことで、全民族の名による決議文、アピールを採択した。
翌年の第2回大会は当局の弾圧により板門店、ソウル、東京での分散開催を余儀なくされたが、各会場では揃って「95年を統一元年に」をスローガンに全民族の共同闘争を呼びかけた。板門店の大会には全国大学生代表者協議会から代表が参加した。
第3、4、5回と分散開催が続いたが、第6回大会では祖国統一汎民族青年学生連合南側本部の代表が参加、「祖国解放50周年民族大団結共同大祭典」が板門店で催された。第7回は再び分散開催となったが、第8回は板門店で開催。昨年は全民族が和解、団結して統一を実現しようとの思いから「民族の和解と団結、統一のための大祭典」が板門店で開催された。
大会を通じて、統一を願う北と南、海外の全民族の連帯と団結はさらに強まった。