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民族大団結で統一へ/90年代の歩み(3)


南北高位級会談(1990年9月〜92年9月)

南北合意書、非核化宣言を採択

 1990年9月5〜6日にソウルで、分断後初めて、双方総理を団長とする南北高位級会談が開かれた。

 89年1月、延亨黙総理が次官級予備接触を提案。2月から90年7月まで計8回、予備会談が開かれた。

 予備会談の第4回で第1回本会談のソウル開催、第5回では名称を南北高位級会談とすることで合意。議題問題が懸案として残った。北側は議題を「南北間の当面の政治軍事的対決状態を解消することについて」、南側は「南北間の多角的な交流・協力と政治軍事的対決状態の解消について」と主張したが、北側が第5回予備会談で「南北間の政治軍事的対決状態を解消し、多面的な協力と交流を実現することについて」とする修正案を提示し、合意した。

 本会談は計8回、ソウルと平壌で交互に開かれた。第1回では北側が、3項目の緊急課題と政治的対決状態解消のための6項目の方案、軍事的対決状態解消のための4部分、9項目からなる方案を提示。第2回(90年10月)では不可侵宣言の採択問題が討議されたが、南側が採択を回避。第3回会談(同12月)では、北側が示した「南北不可侵と和解協力に関する宣言」の草案の採択問題が協議されたが、南側が自らの案「南北関係改善のための基本合意書」を採択すれば応じるとし、政治軍事的対決状態解消の問題を避けようとした。

 第4回会談(91年10月)では、北側が「朝鮮半島の非核地帯化に関する宣言」案を提案し、「南北間の和解と不可侵及び協力、交流に関する合意書」を採択することで原則合意。第5回会談(同12月)で南北合意書を採択し、第6回会談(92年2月)で「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」と共に発効した。

 第7回会談(同5月)では和解、不可侵、協力・交流の3分野の付属合意書が作成された。また、軍事、協力・交流分野の共同委員会の構成、連絡事務所の設置など合意書履行における具体的な打開策が提起され、合意書を採択、発効した。第8回会談(同9月)では3分野の付属合意書を採択、発効し、和解共同委員会を構成。第9回会談を12月に行うことで合意した。

 しかし、南側が92年は中止していた北侵を狙った米・南合同軍事演習チームスピリットの再開を決定したため、第9回は開かれなかった。米・南は翌年1月末に演習を強行。北側代表団は声明で、演習は南北対話破たん宣言、南北合意書履行遮断宣言であり、対話相手の北側への許し難い挑戦だと非難した。会談は中断され、現在に至る。