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民族大団結で統一へ/90年代の歩み(6)


汎民連(海外、北、南)の結成(1990年12月、91年1月、95年2月)

汎民族大会の開催に尽力

 1990年8月15日の第1回汎民族大会では、7000万同胞の結集の軸となる常設的な統一運動機構、「祖国統一汎民族連合」(汎民連)の結成が全会一致で決定した。

 11月19〜20日、ベルリンで「祖国の平和と統一のための汎民族統一運動機構結成3者実務会議」が開かれ、汎民連の結成で合意。北、南、海外各本部の代表1人ずつで共同議長団を構成し、ベルリンに共同事務局を置くことも決まった。

 ベルリン会議での合意に基づき、12月16日にベルリンで海外本部結成大会が開かれ、欧州本部、日本地域本部、カナダ本部、在日朝鮮人本部、米州本部、豪州本部、中国本部、ソ連本部の各地域本部を傘下に持つ、海外本部の結成が宣言された。翌91年1月25日には平壌で北側本部結成大会が開かれた。

 残るは南側本部の結成を待つのみとなり、1月23日にはソウルで結成準備委員会が発足、同月末にも正式結成の運びとなった。

 しかし、民間主導による統一運動の拡大を恐れ、「窓口一本化」を口実に民間人士の対話と接触を弾圧してきた南当局は、準備委を「国家保安法」上の「反国家団体」と見なし、南側本部結成を妨害した。当局は、ベルリン会議を終えて金浦空港に到着した南側代表3人を、「『政府』の許可なく参加した」として逮捕。準備委員長の文益煥牧師を自宅に軟禁し、結成式に参加させなかった。

 こうした当局の弾圧によって南側本部結成は遅れたが、4年後の95年2月25日、ようやくソウルで南側本部結成大会が開かれ、汎民連は名実共に全民族を包括した統一運動組織となった。結成宣言文では、95年を統一元年にする決意が表明された。

 汎民連は、自主・平和統一・民族大団結の祖国統一3大原則に基づく統一実現を使命とし、北、南、海外の全同胞の共同の意思を代弁する愛国的な統一運動組織である。汎民連の結成は、統一の主体である人民大衆の力量を強化し、運動を挙族的範囲に拡大するうえで新たな転換を起こす画期的な出来事であった。

 汎民連の主な活動としては、汎民族大会の企画、準備、開催が挙げられる。91年以降、毎年4〜6月の間に大会開催問題を討議する共同議長団会議を開き、期日や開催地などを決定、準備に取り掛かっている。会議は大体、中国・北京など第3国で開かれているが、南側本部(結成前は準備委)は当局に参加を阻まれ、電話やファクスという形での参加を余儀なくされている。