時事・解説/日本政府、94年に「朝鮮半島有事」想定し5段階計画案を作成
いわゆる「北の核疑惑」騒動で朝鮮半島情勢が緊迫した1994年前半、日本政府が「朝鮮半島有事」を想定し、朝銀への指導監査強化、米軍と自衛隊の調整機構発足、自衛隊の治安出動や海上警備行動の命令検討、防衛出動待機命令、有事法制の国会審議、破壊活動防止法(破防法)による総聯の解散指定などを盛り込んだ5段階の「危機対応計画案」を作成していたことが7日までに明らかになった。これは、今国会で審議中の新しい日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連法案の核心部分の原点と言える内容であり、とくに黙認できないのは総聯の強制解散までも視野に入れていることだ。
共同通信によると、日本政府が作成した計画案は朝鮮半島の危機状況を5段階に設定し、各段階で予測される共和国の出方と日本政府の対応を盛り込んでいる。
内容を見ると、まず第1段階では安保理の非難決議と部分的「制裁」に伴い、共和国への渡航自粛勧告、日朝間の航空機乗り入れ禁止、共和国船舶乗組員の行動制限または上陸不許可の措置を取る。
第2段階では、国連の包括的「経済制裁」決議を受けて、閣議決定で対策本部を設置し、共和国との輸出入や取引禁止、外国為替管理令、輸出貿易管理令の一部改正、朝銀への指導監査強化などを行う。
第3段階では、国連の海上封鎖に伴い、米軍への施設・区域の提供を決定し、米軍と自衛隊の調整機構を発足させると共に自衛隊の治安出動や海上警備行動の命令を検討する。また、破防法による総聯の活動制限、「ミサイル攻撃」に備えた避難対策も取るとしている。
第4段階では、国連が共和国への武力行使を含むあらゆる手段の行使権限を付与する決議を採択し、米国が在日米軍施設・区域を直接戦闘行動の発進基地として使用するために日本と事前協議をすることを予測。日本は自衛隊に防衛出動待機の命令を下し、有事法制の国会審議を行うと共に、南朝鮮在留日本人への避難勧告、破防法による総聯の解散指定を行う。
第5段階では米軍などによる共和国への直接攻撃開始に伴い、安全保障会議が防衛出動を答申、首相が国会承認を得て防衛出動を命令することになっている。
94年の核疑惑 共和国は1993年3月12日、国際原子力機関(IAEA)による「特別査察」要求を「自主権への侵害」だとして核拡散防止条約(NPT)脱退を表明、一触即発の状況が生まれた。自主権の相互尊重と内政不干渉を盛り込んだ朝米共同声明が同年6月11日に発表されたことで一旦危機は回避され、翌7月の朝米会談第2ラウンドでは軽水炉導入でも合意した。94年2月、朝米は共同声明の原則に基づき対話と協議を通じて解決することを再確認するニューヨーク合意に至ったが、米国が前提条件をつけたことで共和国の不信感を招いた。そして、3月31日に国連安保理が「核再査察」を要求する「議長声明」を採択。5月30日には燃料棒交換停止などを求める「議長声明」を採択し、「経済制裁」をちらつかせた。共和国は「経済制裁は宣戦布告と見なす」と対応、6月13日にはIAEA脱退を宣言した。ペリー前国防長官は後に、当時「北の核施設」への空爆を考えていたことを明らかにしている。この危機は6月16、17日の金日成・カーター会談で回避され、10月には朝米基本合意文が調印された。
解説/「北の脅威」口実に有事法制整備に拍車
この計画案は「北の核問題」をめぐり、内閣官房や外務省、防衛庁など関係10省庁が93年半ばから定期的に開催してきた内閣合同情報会議で立案された。作成されたのは94年前半。当時「朝鮮有事」を想定した様々な動きがあった。
4月19日、「朝鮮有事」をテーマに関係省庁スタッフ極秘会議が開かれたとされるが、そこでは「北への送金」問題も話し合われ、「これらをストップさせない限り、経済制裁をしても効果は望めない」などの意見が出されたという。
4月22日には国家公安委員長が、国連の「制裁措置」が発動された場合の国内治安マニュアルを、警察を中心に研究していると明言している。
さらに、5月1日には当時の熊谷官房長官が「合意さえあれば、一気に危機管理体制を作ることはできる」として有事立法の実務的な準備がほぼ完了していることを明らかにした。
こうした動きの中で、総聯大阪、京都両本部に対する府警の弾圧があった。
4月25日に起きたのが大阪府警による総聯大阪府本部など8ヵ所への強制捜査。容疑の「威力業務妨害」は傷害や窃盗よりも罪が軽いとされるが、大阪府警は1300余人を動員して大規模捜査を展開した。
さらに6月6日には京都府警が400人の警官を動員して「国土利用計画法違反」を口実に総聯京都府本部など24ヵ所を強制捜索。初歩的な事実確認もしないまま捜索を強行したが、結局、「違反の事実はなかった」とミスを認めざるを得なかった。
この2つの弾圧事件の背景には、自衛隊の朝鮮半島派兵を実現させるための国内治安体制作り、つまり有事法制整備の一環として、まずは総聯組織から弾圧し徐々にその範囲を広げて行こうという企図があった。それを裏づけるのが今回判明した計画案の中身だ。
同時に94年当時、在日米軍が「朝鮮有事」を想定し日本政府に支援を要請、防衛庁が提供を検討していたことが明らかになっている。計画案は実際に施行される可能性が高かった。
見逃せないのはこの支援項目が95年10月までに1059項目に整理された点。自衛隊の統合幕僚会議が96年4月に同内容の内部文書を当時の橋本内閣に提出したことが暴露されている。
同年4月17日に日米安保共同宣言採択、97年9月23日に新ガイドライン合意、98年4月28日に新ガイドライン関連法案国会提出――という経緯を見ると、支援項目の内容が関連法案に盛り込まれた過程がよく分かる。つまり、計画案も含め94年当時のマニュアルはすべて、新ガイドライン関連法案に反映されているのだ。
今回判明した計画案は作成中の危機対応マニュアルに「参考になっている」(政府当局者)という。
日本政府は、昨年8月の共和国の人工衛星打ち上げ以後、これを「弾道ミサイル」と決めつけ、「地下核施設疑惑」も織り混ぜて新ガイドライン関連法案制定の「追い風」にしてきた。
木藤公安調査庁長官は1日の衆議院で、「朝鮮総聯は暴力主義的破壊活動を行う危険性があり、現在もその動向について鋭意調査を行っている」と答弁した。
「北の脅威」を口実に日本政府は反共和国敵視政策を強化し、有事法制整備を急ぎ総聯への弾圧を露骨化する危険性がある。(聖)