第5回「おじいさん、おばあさんとわたし」作文コンクールで国際高齢者年特別賞
「パプモゴンナ(ご飯食べたか)」茨城初中高中級部1年、車成晃君
第5回「おじいさん、おばあさんとわたし」作文コンクール(読売新聞社主催、文部省など後援)で、茨城朝鮮初中高級学校の中級部1年、車成晃君の「パプモゴンナ(ご飯食べたか)」が国際高齢者年特別賞に選ばれた。応募総数1万317編。作品の内容は次のとおり。
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僕のおじいさんは、僕が生まれるずっと前に朝鮮から日本に渡ってきた。日本に長く住んでいるので、もちろん日本語も話すし生活習慣も日本人とほとんど変わらない。
でも食生活だけは別だ。僕の家の食卓にキムチが上らない日はない。僕もおじいさんも、キムチさえあれば、御飯をおなか一杯食べることができる。
僕のおじいさんは、特別グルメではないが、うまいものにはこだわる。暇があると、ちょくちょく食事に、連れて行ってくれる。
時には、「うまいそば喰わせてやる」と言い、わざわざ車に乗って遠くまで、つれて行ってくれたときもある。
僕と弟が夢中になって食べていると、「トーモゴラ(もっと食べなさい)」と必ず、口にする。 だから僕たちもおじいさんのサイフのことなんか気にせず、遠慮なしにむしゃむしゃ食べる。僕らがさんざん食べて、ごちそうさまを言うと、おじいさんは決まって「イジェチョンナー(もういいのか)」と言う。そして、おじいさんもやっぱり満足そうに店を出る。
うちのおじいさんの、「食」に対するこだわりようは、これだけではない。
家の中にいても毎日、「パプモゴンナ(めし喰ったか)」と日に2、3回は尋ねてくる。それくらい僕らの「食べること」についていつも心配している。不思議に思い、僕は、おじいさんに聞いてみた。
おじいさんは、「…」何も、答えてくれなかった。
でも、僕はおじいさんが、植民地時代や戦争などの大変な時期を経験してきたことを知っている。
話によると、当時は、とにかく物がなくておなかいっぱい食べることなんて夢のまた夢…何をどうやって食べていくかが生きてゆく上でも最も重要なことだった。そんな中で生きてきたおじいさんだからこそ、「食べる」ことにこだわるのだろう。
朝鮮に、昔から伝わる童謡に次のようなものがある。
夕暮れに、米はあっても 薪がなくて、向いの家で は夕飯をまだ炊けず
薪があっても米がない裏 の家も、やっぱり夕飯を まだ炊けぬ
向いの家は裏の家に米を やり、裏の家は向いの家 に薪をやり、晩になって やっとこの2つの家の煙 突からけむりがもくもく とたち上ったとさ
昔から朝鮮人は、うちのおじいさんのように「パプモゴンナ」という言葉をあいさつがわりに使っていた。食べていない人がいれば、家に招いてもてなしてやるのが、昔からの風習だったらしい。たとえ貧しくても、そのあいさつが変わることなんてなかった。
僕らの時代はお金さえあれば何でも手に入るし、まして「パプモゴンナ」と心配しなくても、十分生きて行ける時代になった。
その豊かさの中で今の僕らは分け合うこと、助け合うことを、忘れてしまったような気がする。
今の僕らは、まだまだ力が小さいけど、たとえ少ない力でも、分け合い助け合う心を忘れないでいよう。そして、やがて世界の人たちがみんな「パプモゴンナ」の精神で助け合える社会を作るため頑張ろうと思う。
できるかな?ケンチャナヨ!(大丈夫だよ)
だって、おじいちゃんの孫だもん。