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民族大団結で統一へ/90年代の歩み(14)


祖国統一3大憲章(1997年8月4日)

主席の業績を集大成し体系化

 金正日総書記は1997年8月4日、労作「偉大な領袖金日成同志の祖国統一遺訓を徹底的に貫徹しよう」を発表し、金日成主席が示した祖国統一3大原則、高麗民主連邦共和国創立方案、全民族大団結10大綱領を「祖国統一3大憲章」として体系化。主席の遺訓を貫徹して統一を実現するための理論・実践的問題を明らかにした。

 自主・平和統一・民族大団結の3大原則は、72年5月の南北高位級会談で主席が南側に示し、7月4日の7・4共同声明を通じて南北が確認したもので、外勢の干渉を排して自主的に統一問題を解決しようというもの。80年10月10日の朝鮮労働党第6回大会で主席が示した創立方案は、1民族、1国家、2制度、2政府に基づく連邦制方式の民族統一国家を創立しようというものだ。また、93年4月6日に主席が作成し、翌7日の最高人民会議第9期第5回大会で採択された10大綱領には、全民族大団結の総対的目標と理念的基礎、原則と方途が明記され、自主的、平和的、中立的な統一国家の創立がうたわれている。

 総書記は労作で、(1)3大原則は、統一問題を民族の意思と利益に合わせて民族自体の力で解決できる根本的立場と方途を明らかにした統一の礎石(2)10大綱領は、全民族の団結を達成して統一の主体的力量を強化するための政治綱領(3)創立方案は、統一国家の全貌とその実現方途を明らかにした設計図――だと指摘。3大憲章こそ、自主的平和統一実現のための最も正当で現実的な闘争綱領だと強調した。

 3大原則、創立方案、10大綱領に基づいて統一を成し遂げることは、主席の統一遺訓である。主席は統一実現のために精力的に活動し、晩年には南北最高位級会談の開催合意を導いたが、94年7月8日に急逝。南北対話も南側の反北対決姿勢で中断した。

 それから2年以上が経った96年11月24日、総書記は板門店を視察した際、3大原則、創立方案、10大綱領を3大憲章と初めて定めた。翌年元旦の共同社説には3大憲章という言葉が初めて登場。総書記が主席逝去の喪明け直後の97年7月13日付で在米僑胞記者の文明子氏に送った書簡でも、3大憲章は「祖国統一のためのたたかいで確固と堅持し、最後まで貫徹しなければならない指導的指針」と改めて強調した。

 主席の統一業績を集大成し、3大憲章として体系化したことは、民族分断の歴史をこれ以上、引き伸ばしてはならず、主席の遺訓に従って統一を実現しようという、総書記の決意の表れだと言える。