杉の木とともに/40年間続く岡山・津山市の朝・日交流
岡山県津山市の鶴山公園には、20メートルを超える杉の大木が2本ある。共和国への帰国が実現した1959年、総聯岡山・美作支部管下の在日同胞と津山市職員が共同で記念植樹したものだ。「朝鮮民主主義人民共和国 在日本朝鮮人津山地区 帰国集団記念植樹」と記された記念碑も建立されている。
記念植樹は当時の旧市役所の前でも行われた。植樹したのは当時の額田雄治郎・津山市長と総聯美作支部の林秀雄委員長。当時、2人仲良く植樹する写真が地元紙の紙面を飾った。
旧市役所前の記念樹は、市役所の移転などにともない今は残っていない。しかし当時、同地域での朝・日友好の土台を築いた額田市長と林委員長の功績は大きいという。呉載元顧問(77)によると「外登法の不当な運用に反対する要請に訪れた私たちの声を直接聞いて以来、額田市長は在日同胞の問題に深い理解を示すようになり総聯の行事には欠かさず参加した。」林秀雄委員長とは互いの家を行き来する仲で、公私共に親しく交流していたという。
それから40年。同地域では現在も地道な朝・日の交流が続いている。市が主催する料理教室や日本市民らの学習会に同胞らが講師として招かれることも多い。1972年からは毎年、朝・日が協力して金剛山歌劇団公演を成功させている。
4月17日、鶴山公園の記念樹の下で「第1次帰国船出航記念植樹40周年を祝う美作地域同胞たちの集い」が開かれた。総聯支部の林成信委員長、津山市の山本智英助役をはじめ朝・日50余人が参加。植樹当時を回顧しながら、今後も友好を深めていくことを誓い合った。美作支部と20年間交流を続けてきたという小学校教員の岩本海孝さんは「顔の見える交流が揺るぎない友好関係を生む。40年前の額田市長と林委員長の関係がそれを証明している」と話していた。(慧)