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特集//朝米関係の現状を見る


 朝米関係が新たな局面を迎えようとしている。米国は政治・経済関係の正常化のためのプロセスを明記した朝米基本合意文(1994年10月)をまともに履行してこなかったが、2月末に行われた第4回地下施設協議を通じて、基本合意文と、主権尊重や双方の内政不干渉などをうたった共同声明(93年6月11日)の諸原則を再確認した。また関係改善に肯定的に寄与してきた米兵遺骨共同発掘作業は、今年1回目の作業がこのほど終了した。一方、カートマン朝鮮半島和平担当大使の訪朝に続いてペリー対北政策調整官の訪朝も日程にのぼっている。朝米関係の現状をキーワードで見てみた。(基)

 

<基本合意文>

経済制裁緩和が課題/軽水炉建設遅延

 94年10月21日、ジュネーブで調印された朝米基本合意文は共同声明(93年6月)を確認し、4項目からなっているが、これらの項目には具体的な合意事項が明記されている。

 いずれも同時に一つずつ履行し、その過程を通じて信頼を積み重ね、最終的には敵対関係を解消していく「同時行動方式」によって関係を正常化していくことを目標にしている。

 だが、米国は合意事項をまともに履行していないだけではなく、昨年8月には「地下核施設」疑惑を持ち出し、合意文の破棄までちらつかせた。

 履行状況を見ると、1項目では、共和国が黒鉛減速炉と諸関連施設を凍結する一方、米国は共和国に2003年までに計200万キロワット発電能力の軽水炉を提供することを約束した。

 共和国は合意文調印後、1ヵ月以内に義務付けられていた黒鉛減速炉の完全凍結を実施し、96年5月からは核燃料棒の密封作業を開始。これまで8000本についてほぼ終了し、現在は貯蔵プールの底に残っている燃料棒の破片やドロの処理など最終段階にかかっており、来月中にも完了する見通しだ。

 一方、米国は、2003年までに100万キロワット能力の軽水炉発電所二基を共和国に提供することになっているが、米国主導の朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)関係者によれば、軽水炉の完成は早くても2006年ごろになる見通しという。

 また軽水炉が完成するまでの代用エネルギーとして米国は、年間50万トンの重油を納入しなければならないが、それもまともに実施されていない。

 2項目では、双方の政治・経済関係を完全に正常化するための具体的なプロセスが明記されている。

 経済関係の正常化問題について言えば、双方は合意文調印後3ヵ月以内に、一切の経済障壁を撤廃することを約束した。

 共和国は公約にそって95年1月、米国に対する一切の経済障壁を撤廃した。

 しかし米国は公約から4年以上が過ぎた今も、全面解除には至っていない。

 それどころか制裁緩和の実施について、朝米ミサイル協議の進展具合などを前提条件に示し、対北交渉のカードに利用している。

 

<金倉里地下施設>

米代表団が20日から参観/北の招待による現地訪問

 共和国の招請により、米国務省東アジア・太平洋問題担当朝鮮課のジョエル・ウィット副課長を団長とする米実務代表団が18日に共和国入りして、20〜27日まで平安北道大館郡金倉里のトンネルを訪問する。

 今回の訪問は、地下施設問題と関連した第4回朝米協議(2月27日〜3月16日、ニューヨーク)で双方が一連の合意に至ったことで実施されるもの。そもそもこの協議は、米国が昨年8月に共和国に「地下核施設」があるとの疑惑を提起してきたことによって始まった。そして同年11月に第1回協議が平壌で行われた。第4回協議では@朝米間の基本合意文(94年10月21日)および共同声明(93年6月11日)の原則を再確認したうえでA共和国は米代表団を五月に招待し、金倉里への訪問と建設対象の参観を許可。また付加訪問も許し、「参観料」も得るB米国は共和国との政治、経済関係を改善する措置をとる――ことなどで合意した。

 米国が基本合意文と共同声明の原則を再確認したことは、共和国の主権尊重や内政に干渉しないことを意味する。また政治・経済関係を改善する措置を講じると決めたことは、自らの基本合意文不履行を認め、今後は「同時行動方式」に沿ってその履行に努めていくことを改めて表明したものと言える。

 第3回協議(一月、ジュネーブ)で米国は、「地下核施設疑惑」と朝米基本合意文を別問題と認め、重油納入と軽水炉建設工事を早めることを保証(外務省スポークスマン談話、1月28日)していた。

 また、3月31日〜4月3日には平壌で実務級専門家協議が行われ、金倉里のトンネルに対する米国側の接近は徹頭徹尾、「査察」ではなく純粋に共和国の招待による現地訪問であることを再確認している。

 ただ、朝米が交戦状態にあり、非正常な敵対関係にある限り、米国が再び「第2、第3の核疑惑」を作り出し、問題にしないとは言い切れない。共和国は「米国が今後再び、いかなる他の対象について『疑惑』を作り出す場合には断固、対応する」(外務省スポークスマン、3月18日)との立場を明白にしている。

 

<ミサイル問題>

開発は自主権に属する/輸出中止問題、現金補償案で協議継続

 米国は共和国のいわゆる「核問題とミサイル問題」を対北圧殺政策の基本に置いていると言えるが、このうち核問題はすでに「参観料」を支払うという条件で金倉里のトンネルを訪問できることが朝米協議で合意したため、もはや騒げなくなった。そのため対北圧殺政策の一つの大きな柱が崩れた現状から、米国は「ミサイル問題」というもう一つの柱だけは何とか維持しようと、共和国の「ミサイル脅威」説をかつてなく騒いでいる。

 米国の要請で朝米ミサイル協議は始まった。96年4月にベルリンで開かれて以来、これまで1年に1度のペースで計4回、行われてきたがこれといって進展はない。

 協議の具体的な内容は明らかにされていないが、4回目の協議(3月29〜30日、平壌)で双方は、共和国が示したミサイル輸出中止に関する現金補償案を論議し、引き続き協議することにした。

 米国側が望むならば、共和国がミサイル輸出を中止する場合に得られなくなる相応分の外貨を現金で補償するとの条件でのみ、ミサイル輸出中止問題を論議できる(4月9日発朝鮮中央通信)というのが共和国の立場だ。

 ミサイルの開発、生産、実験、配備は共和国の自主権に属する問題である。

 共和国と敵対関係、交戦関係にある米国が、大量の弾道ミサイルと大陸間弾道ミサイルを各地に配備し、共和国を脅している状況のもとで、それに対抗するためのミサイルを共和国が開発、生産、実験、配備できない理由はどこにもない。

 つまり自国の防衛のために開発し保持するという問題はその国の主権に関わる問題である。

 また、ミサイル開発の中止は、朝米間で平和協定が締結され、共和国に対する軍事的脅威が完全に除去された後に、上程、討議される問題(98年6月16日発朝鮮中央通信)だ。

 

<4者会談>

米軍撤退問題が要/朝米平和協定締結も

 クリントン米大統領が朝鮮半島での「恒久的平和協定を実現する過程を始めるもの」として、96年4月に提案してきたのが4者会談だ。

 共和国は会談目的が「朝鮮半島で対話と協商を通じて停戦状態を終息させ、恒久的な平和の枠組みを設けることにある」との米国側の説明(97年9月5日付労働新聞)に留意し、予備会談を経て本会談に臨んだ。

 会談は97年12月に第1回会談が開催されて以来、これまでジュネーブで5回行われた。1月に行われた第4回会談で「朝鮮半島の平和体制構築」「緊張緩和」に関する両分科委員会の運営方針などが決定され、第5回会談(4月24〜27日)から論議に入った。だが、米国と南朝鮮が、南朝鮮から米軍を撤退させ、停戦協定調印の当事者である朝米間に平和協定を締結しようとの共和国の提案を拒否したため、今回の会談でも議題は設定されず、空転した。

 会談が空転したのは、会談の基本目的である朝鮮半島での平和保障のための最も根源的で本質的な問題の討議を米国と南朝鮮が執ように回避し、「南北軍事当局の直通電話」「軍事演習の事前通告」など、南北対話を求めたためだ。4者会談は南北対話を進める場ではない。

 共和国の提案は、朝鮮半島での停戦状態を終わらせ、恒久平和を樹立するための根本問題として、4者会談で必ず論議し解決させるべき優先課題である。

 停戦協定の当事者である米国は、法的に交戦相手の共和国と強固な平和を築くために、武力の撤退問題を論議しなければならない。

 また朝米平和協定締結を主張するのは、朝鮮半島の平和と安全を実質的に保障できる法的、制度的装置を構築しようとするものだからだ。朝米基本合意文で関係正常化をうたった以上、交戦関係を規定した停戦協定を平和協定へと転換させ、敵対関係を解消することが米国に求められる。

 8月に次回会談を開催して、朝鮮半島の特殊な状況に適合する緊張緩和の措置と朝鮮半島に樹立される平和体制の輪郭をより深く検討する予定だが、共和国は引き続き「一貫した立場で忍耐強い努力を続ける」(外務省スポークスマン)。

 

<米兵遺骨返還>

96年から10回、共同で発掘/関係改善に肯定的寄与

 4月20日から5月13日まで、朝米間の米兵遺骨共同発掘作業が行われ、14日に板門店で六柱が返還された。これは昨年末の共和国と米国防総省との合意に基づくもので、今年は平安南・北道で過去最多の計6回行われる。

 朝鮮戦争(50年〜53年)時の米兵の行方不明者は約8200人とされているが、遺骨返還は停戦協定2条13項に基づき、54年に423柱が米国に返還されている。その後、88年12月からの北京での朝米参事官級実務接触で、米国側から最も強い関心事の一つとして遺骨返還問題が提起され、90年5月に板門店で遺骨5柱が返還されて以来、共和国側は95年11月までに208柱を返還した。

 96年からは、93年8月に調印した「遺骨問題と関連した合意書」、96年5月の発掘のための合意文に基づき、朝米間の米兵遺骨共同発掘作業として拡大、発展した。共同作業は96年に1回(1柱返還)、97年には3回(6柱返還)、98年には5回(22柱返還)、いずれも平安北道で行われた。

 この共同作業は朝米間の人道協力の象徴となっているだけでなく、国交のない両国間の理解を増進して信頼を醸成し、関係改善をしていくうえでも肯定的に寄与している。法的に敵対関係にある米軍が、共和国の領土で朝鮮人民軍と共同で活動を行っているからだ。

 米国はベトナムと国交を正常化する過程において、行方不明米兵の合同発掘作業を行った。朝米間の共同作業も関係を改善する大きな促進剤になろう。

 

<ペリー報告>

新局面に向かうか/包括的対応を基軸に

 ペリー対北政策調整官(前米国防長官)が進めている対北政策見直しの骨格が明らかになった。

 報道によると、対話と「抑止」による包括的対応を基軸に、「核・ミサイル」問題での前向きな対応を要求する一方で、それと引き換えに米国が経済支援や関係正常化を進めることを柱に据えると伝えられている。報告は今月末から来月初めに最終的にとりまとめ、クリントン大統領や議会に報告する方針。

 この報告を機に朝鮮半島情勢は「新たな局面に入る」(日本経済新聞8日付)との指摘もある。

 調整官は政策見直し報告に先立って、米代表団の金倉里トンネル訪問(20〜27日)完了直後の今月下旬にも、共和国を訪問する予定。これに先立ちカートマン朝鮮半島和平担当大使が14日に訪朝、ペリー訪朝の準備などを行った。ペリー政策調整官の訪朝が実現すれば、94年6月に金日成主席が会見してあわや戦争勃発かと言われた「核危機」を回避へとつなげたカーター元米大統領以来の大物訪朝となり、朝米関係の大きな転機になり得るとも言えるだろう。

 

主な動きと当面の予定(99年1月〜6日)

1月 第4回4者会談(19〜22日、ジュネーブ)
「朝鮮半島の平和体制構築」「緊張緩和」に関する分科委員会の運営方針決定
  第3回地下施設協議(16〜17、23〜25、ジュネーブ)
「地下核施設」疑惑と基本合意文を別問題と認め、重油納入と軽水炉建設工事を早めることを米国が保証
2月 第4回地下施設協議(27〜3月16、ニューヨーク)
基本合意文と共同声明の原則確認
共和国が金倉里の対象訪問を許可
米国は政治・経済関係の改善措置講じる
3月 米政府が共和国への食糧支援決定(22日)
20万トン(うち10万トンはジャガイモ栽培にあたる労働者と家族向け)
  第4回ミサイル協議(29〜30、平壌)
輸出中止に関する現金保証案を論議
協議継続で一致
  地下施設訪問に関する実務級専門家協議(31日〜4月3日、平壌)
共和国の招待による現地訪問を再確認
4月 第5回4者会談(24〜27日、ジュネーブ)
分科委の討議始まるが議題設定できず終了、第6回は8月に
  米兵遺骨共同発掘作業(20日〜5月13日、14日に6柱返還)
5月 カートマン朝鮮半島和平担当大使が訪朝(14〜15日)
  米実務代表団が訪朝(18日)
20〜27日に金倉里のトンネル訪問予定
  ペリー対北政策調整官の訪朝予定(下旬)
  ペリー調整官の報告予定(下旬〜6月初)
6月 核燃料棒の密封作業完了予定