朝鮮学校の場所(3)/二つの国際学校の「運命」
多様な背景を無視/外国人疎外する日本の制度
再検討すべき時期
80年代中旬と90年代中旬、国際化時代を背景に大阪で2つの国際学校設立計画が持ち上がった。一方は頓挫し、一方は成就したが、その経緯は、硬直化した日本の学校教育法制度の矛盾を露にしている。
大阪市は1995年3月、国際学校設立への提言の取りまとめを有識者に依頼。当時、大阪市立大教授だった石附実・京都女子大教授(比較教育学)を座長とする大阪市国際学校立地検討会議が発足した。
96年2月にまとめられた提言は、「国際都市としての内実を大阪市が備えるためには、多様な文化的背景を持つ子供たちが共に学べる学校の存在が不可欠」だが、国際学校を「1条校」の枠内で構想するのは不可能だとして、各種学校とするしかないと結論づけた。「教育の目標、内容、方法、教員の資格・人数、施設・設備などが細かく定められる『1条校』の基準を満たしたうえで外国人の望む教育を十分に提供することは極めて困難」だからだ。
さらに、公立の各種学校設置は、多様な文化的背景を持つ子供たちへの対応も「1条校」の枠内で行うという国の方針に反するため、国際学校は私立として設置し、直接的な経常費補助を含めて市が積極的に支援すべきだとした。提言は、「外国人の教育を担う学校が各種学校とされ、『1条校』との間に法的地位および処遇において区別されている現状は、再検討すべき時期に来ている」と強調。今後の課題として、国際学校に「1条校」並みの公的補助を与え、卒業生には大学受験資格を認めることなどをあげた。
この課題は、朝鮮学校が要求してきたものと同じである。つまり、「1条校」ではない各種学校だからという理由で文部省が拒み続けている内容だ。
仮に大阪市がこの提言どおりに国際学校を設置したとすると、市内に8校ある朝鮮学校など各種学校資格の外国人学校に対する扱いとの間に大きな矛盾が生じる。同市は朝鮮学校に経常費補助は行っていないし、そもそも各種学校への経常費補助の法的義務はない。大学受験資格に関しても、文部省はいまだ頑として認めていない。
有識者12人が1年がかりで練り上げた提言は、現行の排他的な外国人・国際学校政策と真っ向から対立する内容となってしまった。同市の国際学校設立計画は今も宙に浮いたままだ。
「1条校」と各種学校
大阪・箕面市の学校法人千里国際学園(91年3月設立)は、同一敷地・校舎内に2つの学校を持つ。帰国子女を中心に一般日本人や外国人も受け入れる千里国際学園中等部・高等部(SIS、旧大阪国際文化中学校・高等学校)と、外国人を主な対象とする大阪インターナショナルスクール(OIS)。SISは私立の「1条校」で、OISは各種学校だ。
同学園設立の発端は、82年の大阪府総合計画で阪急北千里駅一帯の北大阪地域が「国際文化ゾーン」とされたこと。その後、臨時教育審議会が帰国子女、外国人、日本人の生徒が共に学ぶ「新国際学校」を提唱したこともあり、89年6月に阪急電鉄を中心とした千里国際学園設立準備委員会が発足した。
しかしその後、文部省による「新国際学校」の研究事業はなぜか立ち消えになり、それが制度化されることはなかった。提唱を先取りする形で始まった千里国際学園設立計画だが、その受け皿となる制度はなく、いずれ帰国する外国人生徒が主な対象のOISは海外の基準に合わせて各種学校、帰国子女や日本人生徒が対象のSISは受験資格や助成などで不利益のない「1条校」という、変則的な形を取ることになった。
まったく違う運命をたどることになった2つの国際学校設立計画。その経緯は、外国人など多様な文化的背景を持つ子供たちを疎外する日本の学校教育システムの矛盾を見せてくれる。(東)