20世紀の朝鮮半島情勢/カミングス・シカゴ大教授の講演(上)
米国の朝鮮現代史学者、ブルース・カミングス・シカゴ大学教授が、1996年1月24日に死去した林昌栄・祖国統一汎民族連合(汎民連)海外本部議長の3周忌追悼学習会(米国、3月6日)に招待され、20世紀の朝鮮半島情勢に関する講演を行った。林氏は日本帝国主義に反対して1930年代に米国に亡命し、45年の解放後は南朝鮮の軍事独裁政権に抗して民主化運動を展開した。カミングス教授は、朝鮮戦争について、解放後の南北間の政治、当時の現地の状況、種々の資料などを考察し、「北の南侵」ではないことを主張した「朝鮮戦争の起源」を81年に出版して一躍、注目を浴びた。このほど発行された追悼講演集から、講演の要旨を2回にわけて紹介する。
北に向けられた米謀報力の矛先/戦争勃発直前の状況に
核製造能力ない
米国で朝鮮半島に関する話をするたびに、私はいらいらする。それは、米国の大多数の人とマスコミが、朝鮮半島問題に関して無知だからだ。マスコミの共和国報道は大部分が否定的なものである。
私は、核兵器製造の知識はまったくなかったが、寧辺の事態(92〜93年の核疑惑騒動を指す)を理解するために勉強した。取るに足らない知識しかない私ですらも、共和国に核製造能力がないということはすぐにわかった。燃料棒何本かを再処理したというが、それは初期の段階にすぎない。
北の外交で事態転換
米国が朝鮮半島情勢の本質を認識させられたのは、共和国が90〜94年にわたって独特の外交を展開したからだと理解する。しかし、米国がこのような状況を理解するようになったのは、再び朝鮮半島で戦争が起きるかもしれない状況の後だった。米国のマスコミは悪いニュースは一つ漏らさず報道しながらも、戦争直前にまで至らしめた状況については報じなかった。
カーター元大統領が平壌を訪問(94年6月)し、金日成主席と会見するまでになった状況を記憶されているのかどうかはわからない。その訪問が実現したのと同じ月に、米国では国家安全保障会議が招集され、駐「韓」米軍司令官が朝鮮半島の状況を説明するまでに至った。
国家安全保障会議では、軍の寧辺施設攻撃を決定しようとしていた。この状況は、当時は知らされなかったが、95年にケネディ・スクールで行われた研究を通じて、戦争直前の状況であったことが明らかにされた。50年の時とは違い、この戦争では得をする者がいないにも関わらず、勃発直前の状況にまで至った。その後事態は進展したが、最近ふたたび悪化した。
私が理解するに朝米問題の核心は、米国が共和国の全領土を査察し、共和国に核兵器製造能力がないことを確認しようとするところにあると思う。
米諜報機関には莫大な予算が投資されているが、共和国のような国が存在してこそ維持できるのだ。ソ連と東欧圏を監視していたこの諜報機関が冷戦終息とソ連の崩壊、また中国との友好関係の中で生き残ろうとすれば、諜報力をどこかに振り替えなければならない。そのための矛先が共和国をはじめとする特定国家に向けられた。
良いニュースは寧辺事態の後、クリントン政権が外交で突破口を模索する方向へと転換したことだ。米国は共和国と高官会談を行った。