sinboj_hedline.gif (1986 バイト)

インターハイ出場へ/大阪朝高サッカー部


 大阪朝高サッカー部が、インターハイの府予選で優勝。朝高として初めて、団体競技での全国大会出場を決めた。「幻の強豪」と呼ばれた時代から抱いた見果てぬ夢が、ついに現実になった。(千、賢)

 

挑戦6年

追い求めた夢実現/歴史に新たな一ページ

 1勝1敗で迎えた6日の決勝リーグ最終戦。初戦を落とした大阪朝高はこの時点で、勝ち点3で4チーム中3位。全国には、1位と2位の2校しか行けない。

 しかし、5点差をつけた第2戦での大勝は、チーム内にも周囲にも、「いける」との空気を充満させた。

 そしてこの日、先に行われた試合で引き分けた北陽が、一足先に全国へのキップを確保。残る1枚をつかむには、何が何でも勝たねばならない。

 実力と闘志、勢いも申し分ない。問われるのは、夢を実現させる勝負強さだ。

◇◇

 この日の相手、金光大阪とは昨年11月にも、全国高校サッカーの府予選準決勝でたたかい、敗れている。この時のスコアは1−2。強力なシュートで攻めに攻めたが、詰めの甘さに泣いた。「力の差は感じなかった」。3年生たちは試合後、噛み締めるように語った。

 一方、同じ日に行われた全国高校ラグビーの府予選準決勝では、大阪朝高ラグビー部が勝って決勝進出を決めた。

 「あいつら、ええなあ」。試合から帰る道すがら、知らせを聞いたサッカー部員の間からもれた言葉には、賞賛と一緒に、うらやみと後悔がにじんだ。

◇◇

 地方予選の決勝まで進んだ一昨年の東京サッカー部、昨年の大阪ラグビー部をはじめ、全国大会を目指してたたかってきた朝高生らの健闘ぶりは、人々が広く知るところだ。だが、肝心なところで1敗を喫し夢が幻に変わる悔しさは、選手にしか分からない。

 大阪朝高サッカー部が昨年の敗北に泣いた時、ベンチ入りしていた20人のうち、16人までが2、1年生だった。

 主将の金洪周君はキックオフ直前、円陣を組んだ仲間たちに、自らの決意も込めて声をかけた。「精神力では絶対に負けるな。最後まで集中していこう」。

 部員らははその言葉どおり、立ち上がりから力を如何なく発揮。後半の危機も、体を張って乗り切った。

 自らの汗と涙で、懸命にチャンスを手繰り寄せ、それを確実に手中にする勝負強さ――これこそが、朝高サッカー史に新たな1ページを開いた。

 

「全国」の意味

悔しさ、やっと晴れた/長かった「幻」の時代

 「まるで夢のよう。自分たちの時代に全国大会に出られなかった悔しさが、やっと晴れた気がする」

 大阪朝高サッカー部OBの朴成根さん(39)は後輩の快挙に目を細めた。朴さんは23年前、同サッカー部が全国大会の府代表だった清風学園を下して「幻の代表」と呼ばれた時のレギュラーだった。

 この日、少なからぬ同胞が朴さんと同じ思いで、試合を見守った。

 朝鮮学校のインターハイ出場が認められたのは1994年度から。それまでは主催者の高体連が、加盟資格を学校教育法上の「一条校」に限り、大会参加も加盟校だけとしていたため、「各種学校」である朝鮮学校はどんなに強くても「幻」止まりだった。

 この問題が注目されるきっかけになった事件は、大阪で起きた。90年に同校の女子バレーボール部が府大会にエントリーしたところ、主催者の府高体連から、途中で「辞退」を求められた。勝ち抜いても全国大会には出られないことを知らなかった、受け付けたことが「ミス」だった、と理由を説明された。

 これが世論の反発を呼び、高体連に朝鮮学校の加盟・全国大会参加を認めるよう求める運動が、在日朝鮮人ばかりでなく広範な日本人の間に広がる。

 そして、世論の高まりに押された高体連は93年、朝鮮学校の加盟は認めないが、インターハイには翌94年からの参加を認めると決定。96年までには、すべての競技別選手権大会で参加が認められた。

 これまで、ボクシングとウエイトリフティングの選抜大会で、各1人の朝高生が優勝しているほか、メダル多数を獲得している。

 全国大会への参加が認められてから、今年で6年目。実績は着実に積み上がっているが、選手だけでなく、周囲の在日同胞の全国大会への思いにはなおも特別なものがある。差別の壁に阻まれて幻のまま終わった夢が、やっと実現されていくのを、わがことのように見守っているのではないか。

 試合後、金正海監督は、「9年前に女子バレー部の主将が、涙を流して悔しがっていたことを今も覚えている。それだけに、感慨もひとしおだ」と話した。