明日、平壌で「金九先生回顧の集い」/統一、独立に献身
金日成主席の提案により、1948年4月に平壌で、南北朝鮮の56の政党・社会団体の代表695人が思想や信条、主義主張の違いを越えて初めて一堂に会して開かれた南北連席会議。南の金奎植や洪命熹、許憲ら、分断固定化を憂慮する民族主義者をはじめ、左右を問わず多くの団体代表が参加した。中でも、南の民族主義者の指導者で独立運動家の金九氏は、北の人々の統一への思いと会議の趣旨に共感し、反共から連共へと転じた。
その金九氏が暗殺されてから50年目に当たる明日26日、平壌で「金九先生回顧の集い」が催される。これには金九氏と共に会議に参加した人士をはじめ、南の各界人士が招請されている。すでに、金九氏と共に入北した祖国統一汎民族連合南側本部名誉議長の申昌均氏が訪北の意思を表明している。
1876年、黄海道海州生まれの金九氏は、1894年に甲午農民戦争、1919年に3・1人民蜂起に参加するなど、反日義兵闘争に携わってきた。人民蜂起の後に上海に渡り、上海臨時政府の樹立に参画し、警務局長や内務総長、主席を歴任。1928年に「韓国独立党」を結成した。その後、45年8月15日の祖国解放を受けて、11月にソウルに戻った。
朝鮮では当時、同年2月のヤルタ協定に基づき、日本軍の武装解除のため、ソ米が北緯38度線を境に北と南に進駐、南では9月に米軍が軍政を敷いた。しかし、南だけの「単独政権」樹立を画策する米国は、統一的な朝鮮民主主義臨時政府を樹立するという45年12月のモスクワ3国外相会談での取り決めを破って「単独選挙」を強行しようとしていた。
外勢による民族分断の危機に際し、金日成主席は48年3月の北朝鮮労働党第2回大会で、統一政府樹立方針を提起し、南北連席会議の開催を提案した。南北のすべての政党、団体、個人が団結し、「単独選挙」を阻止して統一民主自主独立国家を樹立する対策を講じるものだ。「統一・自主独立」を掲げ、対米従属に反対していた金九氏はこれに賛同し、米軍政の厳しい監視をくぐり抜けて、38線を越えて入北。統一政府樹立の必要性を訴えた。
南に帰った金九氏は、48年5月10日の「単独選挙」で李承晩を押し立てた「大韓民国政府」が樹立された後も、連共統一を目指して精力的にたたかった。しかし、49年6月26日、李承晩が送った刺客の凶弾に倒れた。
では、今なぜ「金九先生回顧の集い」なのか。没後50年の節目という点もあるが、それ以上の意味が込められている。民族の自主と団結に尽くした金九氏の志を受け継ぐという点だ。
南北連席会議では、祖国の統一独立のためにはあらゆる違いを超えて団結できることが示された。こうした歴史的意義と金九氏の生涯を振り返ることで、「南北の和解と協力が一歩前進する」(申昌均氏)きっかけにしたいという、全民族の思いがあるのだ。(根)