同胞と福祉/当事者の現状―中国地方から
昨年11月以来、関東、近畿、九州、中・四国、東海・北信の各地で開かれてきた「同胞の生活と権利シンポジウム」は、同胞らが抱える深刻な諸問題を浮き彫りにしたが、いまだ社会的差別の多い在日同胞の中でも、一般的に社会的弱者と言われる高齢者や障害者は「2重の弱者」と言えよう。6月25日にシンポが開かれた中国地方に暮らす当事者の姿に、その現状を見る。(慧)
無年金高齢者
差別解消と救済措置要求を/埋もれた対象者探しも課題
広島市に暮らす李妙妍さん(84)は23歳の頃、徴用で先に渡日していた夫を頼って日本に来た。その7年後の1945年8月6日、家族と共に広島で被爆する。次男と4男は命を奪われた。李さんのような同胞被爆者は広島で5万、長崎で3万と見られている。
苦難の中、残された6人の子供を育てるために必死で働いてきた李さんが、子供たちに負担をかけまいと国民年金に加入しようとしたのは80年代中頃だった。しかし当時、60歳を越えていた李さんには加入資格がなかった。82年に国籍条項は撤廃されたものの、年齢要件を満たせなかったのだ。86年の法改正時の一部救済措置からも、当時60歳以上の同胞は除外された( 注1 )。
無年金状態に置かれている李さんは、原爆手帳を持つ人に国から支給される健康管理手当(月額約3万円)で、年金暮らしの長男と、なんとか生計を立てている。9年前に他界した夫は15年前、脳溢血で倒れて以来、半身不随の状態だった。付き添い人と病室代で1日1万5000円かかった頃もある。「日本が植民地支配をしなかったらこんなに苦しむことはなかった。日本政府には責任を果たす義務がある」。
広島県にはほかにも無年金状態に置かれている同胞が多いが、彼らに独自の救済措置を取っているのは広島市、大竹市、○形郡(○は山かんむりに県)大朝町、安芸郡府中町の4自治体のみだ( 注2 )。そのため、総聯広島県本部では6月、同胞人口の多い呉、福山、東広島の各市をはじめ同胞の居住するすべての市町村自治体に、給付金支給を求める要請を行った。
給付を実施している自治体でも、それが対象者全員に届いているわけではない。県下同胞の6割弱が住む広島市は月額1万2000円を支給しているが、制度を新設した当時、対象者が一体どこの誰であるのか具体的に把握していなかった。
市では広報に載せたり、総聯や民団などにも通知しているというが、日本語が読めない同胞や、組織と繋がりを持たずに生活する同胞も少なくない。総聯本部や支部でも同胞が集まる場で知らせてはいるが、情報の届く範囲は限られる。
日本政府に対して年金差別解消を強く迫る一方で、地方自治体には独自の救済措置を取るよう求め、また取られるようになった給付金支給などの行政サービス情報を、組織とつながりのない同胞たちも含めていかに広く知らせていくかが今後の課題となるだろう。
注1
日本政府の年金差別 1982年1月1日、日本の国民年金制度から国籍条項が撤廃されたが、当時35歳以上60歳未満の人は、仮に社会保険料を納付しても60歳までに年金受給に必要な25年の資格期間を満たせないことになった。また当時60歳に達していた人も年齢要件を満たせずに加入できなかった。86年の法改正時に一部救済措置が取られ、在日外国人が除外されていた61年4月1日から82年1月1日までの20年9ヵ月が資格期間に合算されることになった。ただし、「(日本)国籍取得者」「永住者」が対象で、この合算対象期間も年金額を決める期間には認められない「カラ期間」となった。
そしてこの時点で60歳を超えていた在日外国人にはこの「カラ期間」も適用されず、こんにちま無年金状態に置かれている。
注2 自治体独自の給付金制度 総聯などの度重なる要請を受け、一部の地方自治体では、無年金状態の在日外国人高齢者を救済するための独自の給付金制度を設けている。99年3月現在で423市町村(総聯調べ)、月額3000円〜2万5000円。総聯本部や支部、市町村役場に問い合わせを。
障害者と家族
何よりも求められる同胞の理解/当事者の声を社会的関心に
山口・下関市の姜吉彰さん(41)、崔玉貴さん(37)夫妻には、下関朝鮮初中級学校初級部6年の長女から9ヵ月の次男まで2男4女、6人の子供がいる。
そのうち、保育園に通う次女の仁愛ちゃん(7)は、70万人に1人と言われる難病「コルネリア・デ・ランゲ症候群」の障害を持つ。生まれた時、左腕は手首までしかなく指は1本だけ、右手は握ったままで開かない。心臓疾患のため「1歳まで生きられない」と診断され、年に4〜5回の入退院を繰り返した。
同胞社会はいい意味でも悪い意味でも狭い。仁愛ちゃんが生まれた時、興味本位の噂話があっという間に広がった。それを耳にした時、母親の玉貴さんは愕然とする。「本当に心配しているのなら無責任に噂を流さないだろう」。いたたまれない思いだった。それまでのつきあいが、ぷっつりと切れた人さえいた。
その一方で、これまであまりつきあいのなかった年長のオモニたちが家に訪ねて来たり相談に乗ってくれるようになった。4〜5年前、福岡・小倉の施設まで週3回通っていた頃には、ほかの子供たちの世話を進んで引き受けてくれたオモニもいた。長女、長男が通う下関初中の文化祭や運動会で、仁愛ちゃんを真っ先に抱いてくれたのも彼女たちだった。「大変な時だったので、そんな心遣いが本当にありがたかった」。
障害者本人と家族が望むのはお金や物ではない。「理解」だ。「障害を持つ人がいるのが普通のことだと考えて欲しい」。「偏見をなくすためには、小さい頃から構えないで普通に触れ合う場が必要」との思いで数年前、下関初中と市内の障害者施設との交流会を企画したこともあるが、個人の力ではなかなか続かない。
しかし最近、群馬、広島など各地の学校でこうした取り組みが始まっている。総聯も昨年5月の第18回全体大会以来、高齢者と障害者の福祉問題を強調。同胞障害者を抱える家族たちのネットワーク「ムジゲ会」のバックアップなど、少しずつだが動き始めた。
「ムジゲ会」の活動を知った時は「涙が出るほど嬉しかった」という玉貴さんが知っているだけでも、学齢期の同胞障害児が市内に4人いる。家族が集まる場を設けたいと思ってはいるが、仁愛ちゃんをはじめ6人の子供の育児に追われる玉貴さんにとって簡単なことではない。
中・四国シンポでも、障害児を育てる家族同士が意見交換をしたり悩みを打ち明ける場がないとの声があがった。当事者の声を社会的な関心につなげていく地域レベルでの地道な作業が切実に求められている。