視点
米国の原爆開発の道を開いたのが1通の手紙であったことは、有名な話だ。
ノーベル賞物理学者のアインシュタインは1939年8月、ルーズベルト米大統領に宛てて次のような書簡を送る。
「この新しい現象は爆弾の製造にも通じましょう。きわめて強力な新型爆弾ができると考えられます…」
新しい現象とは、その前年、ドイツでウランの核分裂現象が発見されていたことを指す。
米国が原爆の研究を進めたのは、ナチスドイツに先を越されることを防ぐためだったと言える。そして1942年夏、マンハッタン計画が正式にスタートし、濃縮ウラン爆弾とプルトニウム爆弾が生み出される。米国が原爆実験に成功したのは45年7月16日のことである。
6日には広島、9日には長崎に、相次いで原爆が投下されたこの月になると、人類は何故、核兵器など作り出したのかという気持ちになる。
原爆を開発した当の科学者たちも、戦後は自らを反省し、核廃絶の先頭に立ってきた。だが、54年が過ぎ、その記憶が風化したのか、米国立原子博物館では、原子爆弾をかたどったピアスなどをインターネットを通じて販売しているという。
広島、長崎の原爆投下によって、多くの朝鮮人も犠牲になった。この夏、平壌では初めて、原爆写真展が開催される。
反戦、反核のメッセージを世界に向けて発信したいとの思いからだ。(聖)