朝高勢、ドラマの連続/岩手インターハイ
ウェイトリフティングでの朝高生初の金メダル、サッカーでの初出場と、ドラマの連続となった岩手インターハイ。多くの在日同胞の熱い声援が飛び交い、門戸開放から6年を経て、インターハイ熱は一つのピークに達した観がある。しかし、夢を追う朝高生たちの挑戦の歴史――栄光と、時には挫折も味わうであろう歩みは始まったばかりだ。(賢)
夢追いあくなき挑戦
新たな伝統へ確かな歩み
「各種学校」であることから全国大会への参加が認められず、どんなに強くても「幻」止まりだった朝高体育部の中で、94年にインターハイ出場の道が開かれると、すぐに栄光の舞台に踊り出たのは東京、大阪などのボクシング部だった。
固く握り締めた拳で次々にメダルをもぎ取る選手らの姿は、数十年にわたって活躍の場から遠ざけられながらも、強さの遺伝子が脈々と受け継がれて来たことを実証し続けた。
ただ両校とも、インターハイの金メダルにはなかなか手が届かない。今大会も両校から8人が出場したが、結果は大阪朝高の銅メダル1つに終わった。
しかし、これも今後長く続く朝高ボクシング史の中では1ページに過ぎない。 「ボクシングでは来年も再来年も、選手たちはメダルをねらえるだろう。その展望の中で、金をねらう」 大阪の梁学哲監督は淡々と語った。
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一足先に栄光を手にした朝高ボクシング勢は、その輝きを守る難しさも一足先に学んでいる。ボクシングに限らず、全国の舞台にいったん踏み出せば、そこからはまったく新しいたたかいが始まる。
帝京高校サッカー部の古沼監督は、大阪朝高との試合後、「朝高は上手かった。ファイトと運動量にはかなりてこずった」と評した。しかし一方で、「このレベルのチームは日本に数十校はある。激戦区の静岡など、県内に5、6校はあるだろう」とも話した。帝京は続く3回戦で市立船橋に圧倒されて敗れ、市立船橋も、決勝には届かなかった。こうした現実が、全国の広さをまざまざと見せつける。
帝京との試合後、大阪朝高の選手らは「まず大阪では敵無しになり、そして全国で上位を目指す」と声を揃えた。
今はまず、足元の課題と当面の目標を一つひとつをクリアしながら、頂点に向かう道筋をつける時だ。
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ともかく、今回のインターハイは、朝高勢が全国を舞台にした新たな伝統を築いて行く歩みをはっきり見せた。
ウェイトリフティング94キロ級の朴徳貴(北海道朝高2年)は金メダルを胸に、「夢は、祖国の五輪代表」と堂々と語った。インターハイの門戸が開いた時、朝高生がウェイトリフティングで金メダルを取ることを、その成功をステップに、彼が五輪代表の夢を持つことを、想像した人がどれだけいただろう。
大阪朝高サッカー部の選手たちが、幼い時分にボールを蹴り始めた頃、朝高生のインターハイへの参加は、まだ認められていなかった。しかし今回の活躍を目の当たりにした朝鮮学校の子供たちや、周囲の同胞たちは、全国をはっきり意識しているだろう。
今や朝鮮学校の子供らにとって、夢を描くことと、その実現を目指すことはぐっと現実的になっている。
そしてその夢を追うあくなき挑戦が続くことによって、「強い朝高」の伝統が築かれて行くのだろう。