春夏秋冬
「故郷の海は透きとおっていて、魚が泳いでいるのがはっきりと見えた」と、オモニから聞いて育った。だから済州島の海をある程度、想像できる。しかし子どもたちに、そのイメージを伝えることができない。「透きとおっていると言われているんだヨ」としか伝えられないのだ
▼1000年に一度しかないので、今年の正月は、それ相応に有意義に過ごそうと早くから考えていた。たとえば、ある志を持った仲間と一緒に、2000年代の初日の出を見て、その目的に向かって、それぞれの決意を確認しあうという風に
▼でも結局、1000年に一度の正月も、普段と変わりなく過ごしてしまった。家族と一緒に、ご先祖様にあいさつし、親戚一同と新年のあいさつを交わし、お年玉を配ってと、年初めの行事を恒例どおり行っただけだった
▼有志との初日の出詣では実行できなかったが、その代わり、家族と一緒にいることができた。そして家族との会話の中で、故郷の話が出たのである
▼北の祖国と南の故郷、生活している日本。年月を経るごとに、離ればなれになった肉親の情が薄れ、キラキラとした済州島の海の輝きが、あせていく。これを、単に時代の流れだと片づけてよいものだろうか。正月の間、ずっとそのことを考えていた
▼自分一人だけ気ままに生きるのなら、これから先のことは、そう心配しないでもいいだろう。しかし、子どもたちのことを考えると、そうはいかない。彼らが幸せに暮らせる社会、自分の故郷を自分の目で確かめることができる環境を作る義務がある。新しい1000年紀の初めに、改めてそう考えた。(元)