阪神・淡路大震災/復興へ七転び八起き
神戸のケミカルシューズ業界
阪神・淡路大震災で甚大なダメージを負い、「風前の灯」であるかのように言われた神戸の地場産業・ケミカルシューズ業界。関連業者の7割以上を同胞が占めるが、不況や輸入品の攻勢にも悩まされ、復興の足取りは軽くはない。しかしよく見れば、企業が逆境に鍛えられながら、しぶとく生きる道を探っている。奮闘するケミカル業者の取り組みから、転換期の経済における「生き残り」のヒントを探る。
配送など一体化、「画期的」と評価/同胞5企業の協同組合マックス
特殊融資で共同工場
工場、資金難
西神戸朝鮮会館の真裏、長田区神楽町にある5階建てマックスビルには、「協同組合マックス」を構成する同胞業者――(株)シャープ・金相圭氏(マックス理事長・西神戸商工会会長)、ミリオンシューズ・姜大善氏(同商工会副会長)、(株)金谷製靴・金澤國氏、(株)三國製靴・金忠國氏、アメリカンシューズ・朴源氏らが、それぞれ1フロアずつ工場を構える。
マックスは震災で工場がり災した5つのメーカーが、共同で工場を取得するために設立した集団化組合だ。中小企業事業団の「災害復旧高度化資金融資」という特例制度の適用を受け、事業費の90%に当たる約6億円を、無利子・5年据え置きの20年以内償還という好条件で借り入れた。
震災では、長田区や隣接する須磨区にある事業所の8割が全半壊の被害を負ったと言われ、工場難、資金難が再建に取り組む業者を苦しめた。行政は低利、無担保の災害復旧融資など優遇措置を講じたが、中でも高度化資金融資は最も魅力的なものの1つだった。
ただし、適用条件も厳しい。 (1)組合員数5社以上 (2)原則として同一業種または相互に関連する製造業 (3)参加企業の5分の4以上が従業員20人以下の小規模事業者であること (4)工場家屋は原則1棟建て (5)適切な共同事業の実施――となっている。さらに靴製造業に関しては「長田区内の工業地域」との条件がついた。
96年の8月に工場集団化に向けて動き出して以降、用地確保の難航や、行政の厳格な審査をクリアし、最終的に資金を得たのは98年12月だった。
合理化もともに
ケミカルシューズ関連でこの制度の適用に漕ぎ着けたのは、マックスの一例だけだ。震災後の混乱を乗り越えて、5社が運命共同体としての新たな出発を果たしたことに、業界や行政の関係者は「画期的」と評価している。
共同化を成功させるには、メンバーの連帯意識とともに、ただ集まるのではなく新規事業を立ち上げる姿勢が必要だと言われる。マックスは経営者どうしが商工会活動などを通じて結んだ絆を下地に、ハードとしての共同工場取得に加え、各社の経営課題の共同化にも取り組んでいる。
例えば共同配送。同じように製品を出荷するため、まとめて交渉することで運賃を2割ほど抑えた。ほかの取り組みとしては、箱や接着剤の共同購入や、インターネットの共同ホームページを通じた消費者アンケートがある。
金相圭理事長は、「消費がしぼんでいる今、コストダウンは生き残りの必須条件。必要に迫られる形で合理化を進めたが、今後もよりシビアな認識をもって事業を洗練化する必要がある」と話す。
時代追い輸入品かわす/青山に神戸ブランドプラザ
顧客ニーズ直接収集
小売りで利益
東京の地下鉄・表参道駅の近く、青山通りに面した「神戸ブランドプラザ」は、夕方になると勤め帰りのOLでにぎわう。神戸市が地場産業のアンテナショップとして昨年4月末に設置したもので、2階は洋菓子店が入り、1階にはケミカルシューズの女性靴メーカー11社が共同で出店した。
ケミカルシューズは400種の品揃えがあり、7000円から1万円が売れ筋だ。
1日の買い上げ客は、平均して80人ほどになる。売れ方はブランドによって異なるが、月に十数万円の賃貸料を負担しながら、利益を出しているメーカーも少なくない。
脱問屋依存
しかし、関係者が最も重視するのはやはり、顧客から得られる生の情報だ。
ブランドプラザからは毎日、「大人が履けるカジュアルシューズも企画して下さい」「今回のブーツは履きやすいと好評です」など顧客の反応が記された「売上状況報告書」が、各メーカーにファックスされる。
業界ではこれまで、新製品を企画しても、反応の鈍い卸売業者に拒まれることが少なくなかった。
しかし消費動向は、本当に欲しいものしか買わない傾向を強めている。事実、97年に「アムロブーツ」が流行った際には、業界の出荷高が上向いた。その後も女性の足元の装いが目まぐるしく変わっており、情報の大切さを裏付ける。
出店企業の1つ、サンナイト株式会社は「小売りに興味もわいてきたが、今のところは何より情報。輸入品の追撃をかわすには、時代を先取りしていくしかない」としている。
業界構造の変化に対応/いい製品作りアジア・企業との協力も
「やる気のない企業は取り残される」
マックスやブランドプラザの取り組みは、震災からの復興、不況の克服とともに、変わり行く業界構造への対応という側面も持つ。
アジア各国からの輸入品は、低価格を武器にシェアを伸ばして来たが、技術力でも日本のメーカーに迫って来た。
金相圭理事長は、「価格で喧嘩してもとても勝てない。いいものをタイミング良く作りながら、中国などの企業とは逆に協力していくことを考えている」と話す。最近では中国や台湾まで視察に行く業者が多く、現地で生産したものを日本国内で流通させる取り組みも進んでいる。
また、売上不振の中で卸売業者が在庫リスクの防波堤としての機能を失うなど、既存の流通構造にも問題が生じており、問屋依存からの脱皮はメーカーにとって深刻な課題だ。
ブランドプラザに出店しているある同胞経営者は、「時代を追ってマーケティングを強化し、神戸ブランドをもっと大きく育てなければ、業界に未来はない。しんどい仕事だが、やる気のない企業は取り残される」と言い切る。
◇ ◇
業界の現状は、まだまだ苦しい。売上高は震災前の7割前後を推移し、94年末には236社を数えた日本ケミカルシューズ工業組合の加盟メーカーは、186社に減った。巷では、「150社までは行く」との話しも聞かれるが、下請け業者はさらに深刻な状況にある。
コストの絞り込みにマーケティングの強化、そして流通の再構築――神戸のケミカルシューズ業界は震災というハンデを負ったことから、変わり行く日本経済の中でいずれはすべての企業が背負う課題に、より深刻な形で直面している。 (金賢記者)
回復の歩み、不況で腰折れ/倒産。失業など高水準
被災地経済
この間の被災地の経済を概観すると、ある時期までは回復基調にあったのが、不況の深刻化とともに腰折れとなり、その後は2重苦の状態が続く。現在では、不況と震災の影響が分かりにくくなっている。
経済が回復基調にあったのは、震災後2年ほどだ。神戸港などインフラ復旧の「復興特需」があり、経済はそれなりの動きを見せていた。
それが一転したのは、消費税率アップや金融不安などがあった97年。この年のはじめには、現地の行政や財界で言われていた「8割復興」との言葉も、徐々に聞かれなくなった。
県内の失業率や倒産件数は、一貫して日本全国の平均より高い水準で推移している。98年には、被災地の倒産件数は496件になり、前年比で3,1割増しと、日本全国平均の倍となった。
民間信用調査会社の調べによると、兵庫県内ではとくに建設業者の倒産が著しく増加している。行政が港や道路など大型インフラの復旧を急ぐ中で、「復興特需」の大半が大手や県外の業者に流れたことなどが原因らしい。
また人口の流出によって、小売り業なども苦戦している。
被災地の企業は一様に資金繰りに窮しており、「災害復旧融資」の特例による償還据え置き期限が切れた後、経営が行き詰まる企業がさらに増えることが危ぐされている。