あの日から5年
阪神・淡路大震災−同胞たちの近況 (4)


昨年はほとんど仕事なし/70歳までかかる借金返済
1級建築士−池光烈さん  60歳  (上)

 震災後はみな、不便な生活を余儀なくされました。入浴もその1つでした。

  自宅の風呂が使える人はましなほうでした。使えなければ銭湯に行くしかない。自宅近くの銭湯が営業を再開したのは、3週間後ぐらいだったと思います。

 銭湯の前は、炊き出しの時のように長蛇の列ができてね。1時間から1時間半は並びました。「1人30分で出てってや」と店の人は言いますが、そのまま守る人なんかいませんわ。ほっとする一時だったんちゃいますか。身体の汚れを洗い流すことで、少しは心が休まりますから。

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 池光烈さんは、震災直後、神戸市内を中心に、り災家屋の診断を無料で行った。震災前は、市から委託を受けた日本学校の増・改築など、公共施設の設計が主な仕事だった。震災後にそれらを見て回ると、き裂が入ったり、壁が落ちたりしていたが、幸い大きな損傷はなかったという。しかし、本業の建築の仕事は、ほとんど入ってこなかった。

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 なぜかって。神戸市内で資材を調達するのが難しかったからです。

 まず資材は何が確保でき、何がないかが分からなければ設計のしようがないんです。例えば、ボルト1本でも、手に入る見込みがなければどうしようもない。だから、大阪などの被災地域以外の業者が介入し、仕事を進めちゃうんです。彼らの方が間違いなく資材を確保できるからです。だけどこちらはたまったもんじゃない。

 当初、10年ぐらいは仕事があると考えていたのに、現実は違ったわけです。

 最初に、仕事の依頼が入ったのは、震災から1年後のことです。仮設住宅の設計でした。設計といっても、電気の線や水道管をどう配置するかという簡単なものでした。

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 緊急仮設住宅は、神戸港沿いの六甲アイランドや、西区、北区、須磨区などの神戸市をはじめとする兵庫県内に建設された。ピーク時の95年11月には約4万6600世帯が入居した。14日までに、県内すべての仮設入居者はゼロになった。

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 震災ということで、公的融資の手続きはスムーズに進められたケースが多いんです。

 しかし借金して家買うたうえに、また借金するなんて、むちゃくちゃな話ですわ。同胞の中にもいました。それでも住む家がなくちゃ、人間生きていけませんから。

 私も自宅の補修などで、少なからず借金をしました。返済期間はあと10年、70歳までかかります。しかし昨年は、ほとんど仕事がありませんでした。

 返済の目途、そんなんありません。今後どうなるかまったくわからんですわ。
 (羅基哲記者)