あの日から5年
阪神・淡路大震災−同胞たちの近況 (6)


子供に持って欲しい夢と希望/いつまでも同胞に尽くしたい
看護婦−金明仙さん 31歳 (下)

 子供は夢と希望を持った、明るい子に育ってほしいです。

 いつかはこの神戸で大震災があったことを語る日が来ると思いますが、私が震災の苦難を乗り越えられたのも、看護婦として同胞、地域住民に尽くしたいという夢と希望を常に抱いていたからです。だから子供にも、しっかりとした夢と希望を持ってほしいんです。

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 取材を申し込むため、金明仙さんの自宅(長田区)に電話したところ、現在は結婚して兵庫区に住んでいるとのことだった。

 さっそく新居に電話をかけてみると、金さんの夫が出てきたが、何となく聞き覚えのある声だった。金さんに会う前日、総聯灘支部に立ち寄ったところ、灘商工会総務部長の曹漢寿(37)さんに、「いつ家に来ますか」と声をかけられた。なんと、曹さんが金さんの夫だったのだ。曹さんは震災後、たびたびの取材に時間を惜しまず協力してくれた人だった。

 2人は震災翌年の96年5月、知人の紹介で知り合い、97年4月にめでたくゴールイン。翌年4月には長女の敏華さんが生まれた。

 金さんが看護婦を目指したのは、学生時代、寝たきりのハルモニを往診にきた看護婦さんの姿を見てからだった。

 神戸朝高卒業後、働きながら神戸市立医師会准看護婦学校、県立総合衛生学院看護学校で学び、免許を取得した。その後、朝日診療所に勤務し、地域の同胞、住民らの健康を見守ってきた。結婚後も看護婦を続けたいと、家事と子育てを両立させながら、引き続き診療所に勤めている。

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 震災後、今でも患者の多くが精神面、肉体面に加え、経済面でも大きな負担を強いられているんです。家を失ったり、家財を失ったり、理由は様々ですが、要するに、生活が一層厳しくなったんです。

 高齢者の中には、収入は年金に頼る人が多いんです。日本人の多くは年金で生活をしていますが、1世同胞の中には年金すらもらえない人がいます。入院しなければならないのに費用がかさむため、入院ができない。治療の回数も当然減ってきます。

 被災者の多くが仮設住宅から災害復興住宅に転居しましたが、ある民間病院の調べによると、高齢の入居者の8割以上が医療機関に通っているといいます。

 超高齢社会に突入したこんにち、彼らに対する公的福祉をより一層深刻に考えてほしいですね。

 4月から介護保険がスタートします。私はケアマネージャー(介護支援専門員)の資格を取得したいと思っています。要介護高齢者の自宅を訪問し、彼らが要介護状態にあたるかどうかや、その程度を調べることなどが主な内容です。

 看護婦の仕事? 大変でしんどいけど、人に尽くせる、やりがいのある仕事だと思います。(羅基哲記者)