侵略の非道訴えた生涯
丸木俊さんを悼む


 全16図に及ぶ「原爆の図」、さらに「アウシュビッツの図」や「水俣の図」などを夫の位里さん(95年死去)と共に描き、世界に反戦、平和を訴えてきた画家の丸木俊さんが、13日、87歳で亡くなった。

 俊さんは原爆投下の数日後に、広島に入った。その時のことを本紙記者にこう語っていた。「半世紀たってもあの地獄図を忘れることはできない。むけた人、焼けた人、血を吐く人、狂った人。人々は次々と死んでいきました。屍の匂いが風に流れていました」

 目を覆わんばかりの惨状。自らも残留放射能を浴びた。病床で、近づいてくる死の足音を感じていた。そのとき「あれを描き残しておかなければ、このままでは死に切れない」という強い衝動に揺さぶられた。その迸る思いが1950年、「原爆の図」(第1部幽霊)として発表された。

 その後被爆から27年の歳月が経ち、空を舞うチョゴリが描かれた「原爆の図」第14部「からす」を完成。俊さんはその思いをこう語った。

 「チョゴリには朝鮮人の無念さと望郷の心を表した。これは私の執念でもあった。いや、朝鮮人にはもっと根深く、悔しい思いがあったことだろう。それをこの絵からくみ取ってほしい」と。日本の侵略の非道さを、思想と芸術、行動力で告発した稀有な女性だった。(粉)