川崎初中「こども記者」/
日系ブラジル人コミュニティーを取材
企画した県、「外国人の先輩、たくさんの友達を」
外国人の多様化実感
「こんな近くに日系ブラジル人がたくさんいたんだ」川崎朝鮮初中級学校の生徒7人が22 日、神奈川県が企画した「こども記者」として同県鶴見区のブラジル人コミュニティーを取材した。3月に県の外国人団体が合同で主催する国際交流行事「あーすフェスタ」(3月4、5日、地球市民かながわプラザ)の一環として企画されたもので、中国人、日系ブラジル人、朝鮮人、インドシナ難民が多い中区、鶴見区、川崎市、大和市などのコースに分かれて、取材した(川崎のみ2月)。その内容は行事の当日に発表される。
自分の問題として置きかえ
違いに関心
ブラジルコースに参加した川崎初中(初級部5人、中級部2人)の「こども記者」は、日本学校の生徒たち8人と午前11時にJR鶴見駅に集合。その足で在日ブラジル人向けのホームページ「ブラズネット」を運営する会社を訪ねた。
「なぜこのコースを選んだの?」 取締役の橋本秀吉さんの質問に朴成國くん(初5)は照れ気味に「サッカー王国だから」。近所に、日系ブラジル人が多いことは「知らなかった」。
生活情報や意見交換の場を提供しているホームページの説明をうけた後、「こども記者」たちは、質問メモを見ながら取材にとりかかる。「生活しながら苦しいと思うことはなんですか」「ブラジル人はなぜポルトガル語を話すのですか」通訳を交えた会話はどことなくぎこちなかったが、目は興味津々だった。
神奈川県には11万人の外国人が住んでいるが、その代名詞だった朝鮮人は今や全体の3割。ブラジル、ペルーからの日系人、インドシナ難民が増えている。
彼ら「ニューカマー」が直面している問題の一つに、子どものアイデンティティー教育がある。鶴見区では、6年前から日本の学校に通う日系人のための母語教室が、教員や保護者たちによって運営されている。「こども記者」たちは、当時から教室の運営に携わってきた沼尾実さんの説明を受けながら、同区の公立中学校で開かれているポルトガル語教室を見学した。同教室で学び、2月にブラジルに帰る翁長ヒッタさん(小6)にも登場してもらった。
「翁長さんのお母さんは沖縄生まれでお父さんはボリビア生まれ。鶴見の日系人に沖縄出身が多いのはなぜだろう」、「日本で過ごしていると自分の国の言葉を忘れてしまう。近所に習う所がなかったら、どうすればいいんだろう」
「こども記者」は、沼尾さんの質問に想像力を巡らせる。「なぜブラジルに帰るの?」、「近所で言葉を習えない子は引っ越すの?」 同じ外国人である朝鮮の「こども記者」の質問は、「自分との違い」に関心が集中していた。
「こども記者」たちは取材を通じ、日系ブラジル人が、沖縄での米軍基地拡張に伴って、1954年からボリビアに移住させられた人たちの2世、3世であること、ボリビアからブラジルなどに移住し、そこから日本に出稼ぎにきていることを知った。
ポルトガル語を教えていた日系人の母親を取材した洪玉華さん(中1)は、「自分たちには学校があるけど、彼らにはない。教材は日本学校の朝鮮人生徒向けに作られたものも参考にするというが、学校がないから、大変なんだと思った」と感想をもらしていた。生徒たちは他の外国人の実情を、自分の問題として受け止めていった。
国際化支えて
最後に訪れたのは、南米の物がなんでも揃うというスーパー。しかし、スーパーが入ったビルの入り口は、身長が170センチを超えると頭がぶつかってしまうほど低く、風俗店も入っており、「最悪」の立地だ。取材に同行しだ寿隆さんは「南米の人は不動産を借りにくいことを肌で感じて欲しかった」と話す。
「こども記者」の企画を担当した県民部国際課の水田秀子課長代理は、「自治体の施策はまだまだ。日本人の意識改革が先決だが、外国人が他の外国人の暮らしに目を向け、協力し合うことが大きいインパクトを生む。朝鮮学校の生徒たちは外国人の『先輩』。小さい頃から友達をたくさん作って、地域の国際化を支えて欲しい」と話していた。
(張慧純記者)