あの日から5年
阪神・淡路大震災−同胞たちの近況 (10)


三ノ宮に新店舗
ぜいたくせず、コツコツと/深まった日本人との相互理解

お好み焼き屋−
金載相さん 42歳 (下)

 震災から1ヵ月半が過ぎた3月初、焼肉屋を営む同胞と一緒に、肉60キロ、ビール300本を持って、東神戸朝鮮初中級学校(現・神戸初中)で炊き出しを行いました。ウリハッキョで避難生活を送る同胞、日本人被災者から大いに喜ばれました。

 何十年もウリハッキョの近所に住んでいたのに、初めて足を踏み入れたという日本人もいました。ウリハッキョには日本の避難所にはない救援物資、例えば、紙おむつなどがあり、日本人からは「大変助かる」と好評でした。

 それまでウリハッキョに対しては、「何かあれば運動場で焼肉はバンバンやる」、「運動会の時には学校周辺は違法駐車の嵐や」などと苦情が多かったんですが、震災後はありません。相互理解、友情が深まった証と言えるでしょう。

 うちは朝鮮人ということを隠していないんです。娘が店の中でも外でも、あたりかまわずアボジ、アボジと普段から大声で呼ぶんです。だから近所の人たちも、「マスターのところ韓国なんやね」とよく聞かれます。そのたびに「うち朝鮮人なんやけど」と思うんです。しかし説明しても長くなると思った時は、「コリアンです」と答えるようにしています。

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 金載相さんは、JR三ノ宮駅近隣、大安亭市場の一角にある、お好み焼き屋「かくべえ」を妻の崔正美さんに任せ、昨年10月、三ノ宮駅前に、お好み焼き屋「神戸こてこて」をオープンさせた。

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 この場所は1昨年末から目をつけていた所なんです。元々は居酒屋だったんですが、震災前に不景気でつぶれた所です。今も神戸は不況です。しかしこれから景気がどうにか回復することを願って、思い切って開店に踏み切りました。

 単価を下げてでも、どうにか営業をしている店はまだましです。しかし震災前に、駅周辺でスナックや居酒屋などを経営していた同胞の中には、日雇い労働者に転職している人もいます。

 お好み焼き屋? 23歳の時から、ろばた焼き、うどん屋などで修行をして、その後に始めました。もう18年になります。「石橋を叩いて渡れ」ということわざがありますが、人からはよく「叩き過ぎでつぶれんちゃうか」と言われます。だけど私にはこの商売しかありません。

 早朝5時には軽自動車に乗って兵庫区の中央市場に出向き、その他の買い物は、50ссのカブ(バイク)で行きます。ぜいたくせず、コツコツやることが大切なんじゃないですか。そうしなかったら借金も返せません。

 この商売、いくら食べても1人2500円前後です。だから顧客が多くなければ、赤字です。そのため、少しでも仕入れを安くし、その分をお客さんに還元してます。お客さんは喜べばまた来てくれますから。

 「毎度。合計5100円、5000円ちょうどでいいよ。また来てや。また、いろんなもんサービスするから」                                                         (おわり=羅基哲記者)