語り継ごう―20世紀の物語

私たちにとって
祖国と自分自身の運命はひとつだ

崔碩文さん(78)


亡き人に知らせたい新時代の息吹
同胞の求心点、ウリハッキョを盛りたてよう

 岩手県滝沢村の産業文化センターで8月10日、朝鮮人強制連行犠牲者の追悼の会が、総聯、民団、日本人が参加してしめやかに行われた。

 5年前から毎年開かれている合同法要の追悼者数は年を重ねるごとに増えつづけている。例年にない酷暑のさなか集まった人々の胸中は、いつにもまして深い感慨があった。総聯岩手県本部顧問である崔碩文さん(78)もその中にいた。

 祖国解放55周年にあたる今年6月の南北両首脳の感激的な出会いと南北共同宣言の発表。21世紀を目前に訪れた時代の新たな息吹を亡き人々にも知らせたい、との想いが崔さんの胸を熱くした。

 崔さんが生まれてまもなく渡日したアボジを頼りに日本に渡ったのは61年前、17歳の時だった。幼いころから利発で村人から神童と言われた崔さんの夢は文字の読み書きを習い覚え、教職に就くことだった。

 故郷高霊で区長に願い出て文字を習い、渡日後も働きながら生活を切り詰め学校に通い、日本語や数学を勉強した。

 苦学生だった崔さんは下宿先で地下活動をしているのではないかと怪しまれ、徴用に送られる寸前に逃れる。各地の工事現場に転々と移り住み、働きながら岩手県黒沢尻で祖国解放の日を迎えた。

 日本帝国主義から解放され歓喜に沸き上がる当時の同胞の姿は今でも脳裏に鮮烈に焼き付いている。

 崔さんは解放された国の青年として同胞の生活と権利向上を目指して社会活動に青春の情熱をたぎらせた。

 朝鮮建国促進青年同盟に加盟したものの、活動方針に疑問をもち脱会する。その後在日本朝鮮人聯盟支部委員長、在日朝鮮統一民主戦線岩手議長を経て在日本朝鮮人総聯合会の結成を支持し立ち上がった。波乱万丈の日々だった。

 戦後の混乱の中で金日成主席の労作に出会い学び、人生航路を決めた。

 「故郷にいた11歳の時、姉が病死、ショックから立ち直れないオモニの気持ちを少しでも和らげようと礼拝堂通いを始めました。悶々とした青春を過ごし、解放された朝鮮青年としての私の精神的支柱になったのは、敬愛する金日成主席の教えです。 死して天国に召されるより生きて社会主義祖国の発展と同胞の幸せのために尽くしたい と社会活動に専念しようと決めたんです」

 以後半世紀に渡り活動家として第一線で活躍。県本部委員長を始め45年間専任の活動家として愛国活動に従事した。

 一線を退いた現在も卞順漢夫人と共に愛国運動を物心両面で支援している。その道のりには数々のエピソードが…。

 1950年から53年、祖国解放戦争の混乱のなか同胞青年らは祖国防衛に尽くそうと奮い立った。

 「米国が朝鮮に原爆を投下する!」との情報に原爆投下に反対するビラを配り、署名運動に奔走した。旧国鉄盛岡の工場で友人2人と共に日本人労働者に訴えていた矢先「住居侵入」の疑いで拘束された。レッドパージ直後の物々しい情勢下で密告者の陰謀だった。18日間拘束の末、不起訴処分で釈放される。

 「植民地から解放された祖国がまたしても戦禍に巻き込まれるのかと思うといたたまれない気持ちだった。私たち同胞青年にとって祖国と朝鮮人である自分自身の運命は一体でした」

 その祖国を思う気持ちは半世紀を経た今も変わりない。65年、東北朝鮮初中級学校の創立が東北の愛国運動を一気に盛り上げる契機になった。「当時県内のウリハッキョ就学率は20%、同胞の民族心の深さを示す数値でもあったんです」。開校当時、まだペンキの乾かない校舎で「アーヤー、オーヨー」と朝鮮の文字と言葉を習う同胞の子供らにとって民族教育こそアイデンティティー確立の場であった。

 東北地方で民族教育を続けることは愛する子供らに幼いころから寮生活を強いることを意味する。遠方から入学し幼少から親元を離れることは親子に辛い試練を課す。しかし、それを乗り越え多くの同胞子弟が朝鮮人として巣立っていく。

 崔さんら1世の愛国心からスタートし建設されたウリハッキョで子息が学び現在、孫娘が代を継いで勉強している。

 3年前の東北朝鮮初中高級学校改築事業でも崔さん一家はウリハッキョを卒業した若い世代と一緒に先頭にたち、県内の同胞と力を合わせ「まず、ハッキョを」と長引く不況下でも積極的に支援協力した。温かい同胞の支えが東北でも愛国事業をしっかり後押ししている。

 建設委の岩手県責任者を務めた朴徳根さんは、「崔顧問は 不足分は私が責任もつから若い人たちは思い切って仕事を推し進めなさい と励ましてくれました。どれだけ心強かったか知れません。亡き義父も崔顧問の愛国心に感服していました」と語る。

 卞夫人は「1世の私たちは国が解放された幸福感に浸り、苦労もいとわず生きてきました。しかし、孫にハルベ、ハンメは愛国活動を通して何を残してきたの?と聞かれたら何と答えようかと悩んだことも。このたびの歴史的な南北共同宣言は第1段階として『この日のために頑張ったんだよ』と言い切れます」と崔さんの気持ちを代弁するように心情を語った。

 南北の和解ムードが高まるなかで総聯同胞の故郷訪問団が先月、南に入った。崔さんが故郷に行く日も近い。恩師は?先祖代々の墓は?、思いは遥か故郷へと飛んでいく。

 「海外旅行で世界中飛び回れる時代に、自分の故郷にも行けないとは今まで理不尽すぎました。南北の和解と交流を通し少しずつ統一に近づければ本望です。オリンピックの南北合同行進に見るようにその日が近いと実感します」

 統一のためにも同胞の求心点となるウリハッキョを組織と同胞が各方面で努力し盛りたててゆこうと語る。国を愛し民族を想う気持ちは果てしない。 (才)

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