朝米共同コミュニケを読む

新しい関係への礎

敵対関係から互恵平等へ


 朝鮮民主主義人民共和国と米合衆国が12日にワシントンで発表した共同コミュニケは、一言で敵対状態に終止符を打ち、相互尊重と内政不干渉の原則に基づいた新しい関係へと転換させることを表明した歴史的文献だと言える。同時に、米国の対朝鮮政策の転換を意味し、換言すると、米国の圧殺政策を破たんさせた朝鮮の先軍政治がもたらした結実であると言える。

朝鮮戦争の終結

 朝米共同コミュニケは、5つの部分で構成されている。

 まず第1に、金正日総書記の特使として朝鮮国防委員会の趙明禄第1副委員長が訪米し、金正日総書記の親書と朝米関係に関する意思をクリントン米大統領に直接、伝えたことが指摘されている。

 そして第2に、朝米双方が、アジア太平洋地域の平和と安全のために双務関係を「根本的に改善する措置を講じるよう決定」し、第3に、双務関係で新しい方向を講じる用意があると宣言し、第4に、朝米基本合意文の完全な履行を確認。第五に、米大統領の訪朝準備のため、オルブライト米国務長官が近日中に訪朝することで合意した、となっている。

 以上がコミュニケの主な内容だが、なによりも注目されるのは、今回の一連の会談が金正日総書記の構想によって進められ、その結果、双方が関係を根本的に改善する措置を講じるよう「決定」したという事実だ。

 クリントン大統領に伝えられた「金正日総書記の親書と朝米関係に関する意思」については、いっさい明らかにされていない。ただ、昨年五月にペリー対朝鮮政策調整官(当時)が訪朝した際、金正日総書記に伝えられたクリントン大統領の親書に対する返答であるとともに、親書には「両国関係に関する希望とビジョン」(シャーマン米対朝鮮政策調整官)が盛り込まれているという。

 そして、そのビジョンに米国が呼応して双方は、関係を根本的に改善する措置を講じるよう決定したのだ。その措置とは、53年に締結された停戦協定を強固な平和システムに替えて、朝鮮戦争を公式に終了させることだ。

 ちなみに、停戦協定を平和協定などに替えることについてこれまで米国は、「実質的な当事者は南朝鮮」だとして、交渉そのものにも応じようとはしなかった。

敵対関係の解消

 次に双方は、双務関係で新しい方向を講じる用意があると宣言し、その措置として@他方に対して敵対的意思を持たないことを宣言し、A相互尊重と内政不干渉の原則に基づいた双務的、多務的空間を通じた外交接触の正常化B経済協力と交流の発展Cミサイル問題の解決とミサイル会談継続中の朝鮮のあらゆる長距離ミサイル発射の留保を確認した。

 この項で注目されるのは、双方が敵対的意思を持たないと初めて宣言したことだ。

 これまで93年6月の朝米共同声明、94年の基本合意文で朝米双方は、核兵器を含む武力の不行使と脅威を与えないことを約束していたが、敵対関係解消については、触れていなかった。

 それが今回、敵対的意思を持たないと宣言するに至ったのだが、これは朝鮮戦争を公式に終息させ、朝米双方が新しい関係へと発展していく礎となろう。

 また、ミサイル問題で、朝鮮側があらゆる「長距離ミサイル」との表現を使ったのは今回が初めてで、その間のミサイル協議でなんらかの進展があったことを伺わせる。

核問題解決の道筋

 朝米基本合意文の完全な履行の部分で双方は、@金倉里地下施設に対する接近が有益であり、A食糧支援や失踪米軍兵士の遺骨発掘などの人道主義分野での討議と接触の継続、Bテロに反対する国際的努力の支持などで合意した。

 この項で注目されるのは、金倉里地下施設に対する接近方法が、米国の憂慮を解消するうえで有益だったと指摘された点だ。

 金倉里地下施設とは、一昨年の夏に米国の一部情報機関などが、朝鮮が同地で核開発を行っていると騒ぎ立てた施設のことで、米国が2回にわたって現地調査した結果、核施設とは無関係であると判明した。同時に同施設を視察するにあたって米国は、「参観料」として食糧支援を実施したという経緯がある。

 今回、この接近方法が有益だったと認めたことによって今後、同様の問題が生じた場合、金倉里と同じような解決方法を取ることを示唆したと言える。

圧殺政策の破たん

 そして最後が米合衆国大統領の訪問だが、これについてオルブライト国務長官は12日の記者会見で、訪朝するのがクリントン大統領であると表明している。

 なによりもクリントン大統領の訪朝は、朝米関係史に新たな1ページを加える歴史的出来事になる。

 クリントン大統領の任期が来年1月で切れ、来月には大統領選挙が行われるというスケジュールから考えると、大統領訪朝は年内の可能性が高い。

 以上が、共同コミュニケの内容だが、もっとも重要なことは、朝鮮の先軍政治が米国の圧殺政策を破たんさせたという事実だ。

 90年代に入って、ソ連と東欧社会主義国の崩壊、金日成主席の逝去、たび重なる自然災害など、朝鮮を取り巻く環境は非常に厳しかった。そんななかで米国は、核問題を口実に朝鮮に武力攻撃を加えようとし、それが通じないと分かると、今度はソフト・ランディング(軟着陸)政策を持ち出して、朝鮮を圧殺しようとした。しかし、米国の圧殺政策はいずれも成功せず、ついに米国は、朝鮮が崩壊しない(ペリー報告書)との前提のもとに、関係改善を進めることを表明し、それが今回の共同コミュニケ発表に至ったのである。(元英哲記者)

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