関東は後進ではない

「関東学再発見」アサヒグラフ編集部編


 人は漠然とこう理解しているという。日本列島の諸地域の中でいちばん進んでいるのは近畿で、つぎは北部九州、瀬戸内海地域、山陰、北陸で、関東・東北はまったくの後進地域だというとらえ方。本書はこうしたとらえ方を事実に則して批判しながら、関東を新しい視点から見直している。

 とりわけ日本中世史の網野善彦氏と考古学の森浩一氏の対談が面白い。

 「日本列島はアジア大陸の北から南に架かった架け橋のような位置にあり、北からも南からも西からも人が出入りしている。東からの出入りもあったのです。ですから、日本国ができる七世紀以前に、アジアの各地域からのいろいろな人の出入りの動きがこの列島にあったのです。…紀元前3、4世紀から紀元後の6、7世紀までの千年間に埴原和郎さんの説だと、多くみれば150万人、少なくとも数十万人の人々が、主として朝鮮半島、または中国大陸から列島の西部に入ってきたといわれています…」。(網野氏)つまり、列島東部と西部はその時点で「社会の質そのものが異なってきた」と推測するのだ。

 そうした関東への新しい見方で歴史をひも解くと、例えば「上州で強いのは女性とからっ風」という言葉は、関東の女性の立場が基本的に強かったということを意味しているという。養蚕、織物の基本の作業は女性が担当しており、女性は自分で作った絹を市場に持っていって、相場を見て高い値段で売って稼いでいる。そうして自分のふところにいれた金を女性は簡単に男には渡さなかった――。

 もう1つ。江戸の語源は「江」は「入江」であり、それに港の「戸」がついている。地名全体をみても昔から港として優秀なところで、古代以来の交通の要衝であった。江戸の都市としての機能は、決して突如として作られた人工的なものではなく、長い古代と中世を通じての歴史的背景を持っていた。

 その他本書には、高句麗王家の1300年の血脈を今に伝え続ける日高市の高麗神社をはじめ朝鮮半島との交流、交易を鮮やかに伝える関東の遺跡、歴史遺産などが豊富に紹介されている。(朝日新聞社、本体1600円)

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