過去のイメージにとらわれず
民族教育の現実を確かめよう
安重根
親が子供に贈る最高のプレゼント、それは何だろう? やはり、それはわが子に「明るい未来」「素晴らしい教育」を与えることではないだろうか。時代は変わり、在日同胞の世代も生活も変わったが、昔も今も親が子に託す期待感は変わらない。「どんな子に育てようか。将来何をさせようか」「在日として生きていくにはどうしたらよいのか」など、どの家庭どの親も共通の悩みであろう。
近年、民族教育に対する同胞父母の期待感や要求が年々高まっている。とりわけ、21世紀を目の前にして、若い父母は民族心を重視しながらも、日本の社会に根付くことのできるハイレベルな教育を求めている。中には「民族教育では無理ではないか」と考えている親も多いだろう。一方では「本当に日本学校でよいのか?」「日本学校なら将来が約束されるのか」と、半信半疑しながら迷っている親もいるに違いない。 日本の教育現場を見て 最近私は、埼玉県内の市教育委員会や日本学校、自治体からの依頼で日本学校に出向き、教師、生徒、父母と接する機会をひんぱんに持っている。そこで目にするものは何か。学校の実態、教育現場の実態である。学校・学級崩壊、登校拒否、いじめ、少年の非行化などマスコミの報道がかまびすしいが、やはり焦点はそこにあった。 風ぼうはもちろんのこと、精神的に落ち着きがなく、教師の話に耳を傾けようとしない生徒らの姿は誠にショッキングであった。 授業を見て、朝鮮学校の現場を思い起こした。生徒らは聞く事、話す事の分別はつくし、礼儀もきちんとしているように思える。友達づきあいも良いし、まして「いじめ」などあまり考えられない。かえって力不足の友達には優しい心で力を貸すし、障害のある友達にはクラスが一体となって助けあう。長年、民族学校の教員をしてきた1人として、2人の息子の親として、それらは、民族教育が培ってきたものと自負している。 授業見学に先だって行われた埼玉朝鮮中級部の生徒と日本学校の生徒とのパネルディスカッションの際、司会者の「将来、君たちは何になりたいですか?」「どんな事をしたいですか?」の問いに、対照的な答えが返ってきた。 「プロの選手になって、金儲けしたい」「芸能人になりたい」「いい会社に就職したい」「社長になりたい」などの日本の生徒の答えに対して、朝鮮の生徒は「教員になります」「もっと学力をつけて、朝鮮人として日本社会に進出したい」「在日朝鮮人のために何か役立つことをしたい」などをあげた。 すると、日本学校の校長は「この差は何でしょうね?」と私に聞くのであった。「別に意図的に教えたわけではないのですが、自分たちが異国に住みながら朝鮮人として何をしなければならないのかを民族教育では重視しているせいでしょう」と答えた。 校長は、民族的アイデンティティーを保持しながら、日本の社会で生きぬく力を民族教育で養っているという事実に驚きを禁じ得なかったようだ。 また、こんな事もあった。3年間も不登校中の中学女子生徒3人を指導している日本の1教師が生徒らと共に朝鮮学校を訪ねてきた。嫌々ながら来た生徒3人だったが、中学3年の教室に入りチマ・チョゴリを着た生徒らと愉快に話をしていた。 ほんの1〜2時間の会話ではあったが、3人は一様に「涙が出るほど嬉しかった。本当にいい友達」と言いながら学校を後にした。その後、先生は、「朝鮮学校にしかない何か温かいものを感じたんでしょう。クラスの雰囲気、友達を思う心、飾り気のない素直さを」と語ったのである。 最近、各地の朝鮮学校では授業参観を通して民族教育の実情を知ってもらおうと対外公開授業を盛んに行っている。民族教育の内容、授業風景を見せること自体昔では考えられなかったことだ。多分できなかったと思う。60〜70年代に民族教育を受けた人々には想像を絶するだろう。それだけ民族教育は変わったのである。 教育内容も日本の教育レベルに対応しつつある。文部省公認の漢字検定試験や、英語検定試験、数学検定試験などで合格者を輩出している。 埼玉朝鮮初中級学校は過去の成績により財団法人日本数学検定協会主催の数学検定試験で優秀校として表彰され、指導の先生は学校関係功労者として表彰されている。漢字検定でも同じく表彰されている。これは民族教育の質の高さと、生徒たちの向学心の高さを物語っている証だと思う。 まさに現在、問われているのは「朝鮮学校ではだめ」ではなく「朝鮮学校、民族教育こそ、これから必要になってくる」ということではないだろうか。これからの若い世代は過去のイメージにとらわれず、最寄りの朝鮮学校に一歩足を踏み入れて、民族教育の現実を自分の眼で確かめてはどうだろうか。そうすることによって、何か明るい光が必ず見えてくるに違いない。(埼玉朝鮮初中級学校教育会会長) |