強盛大国 金正日プランー8−

目 標

「民族繁栄の新時代の扉」
総書記還暦の年 2002年が目安


 これまで7回にわたって、金正日総書記の指導のもと、強盛大国作りを進める朝鮮各分野の現状、政策について見てきた。

 そのキーワードとなるのは統一祖国だが、20世紀最後の今年6月に至ってようやく朝鮮民族は、金正日総書記と金大中大統領の対面を通じて、分断された国土を自らの手によって1つにしようと、「自主統一」の志向を全世界に宣言した。

2年前から構想

 強盛大国は、「(北南が1つになった)民族繁栄の新しい時代の扉」(労働新聞10月3日付政論)である。

 つまり、北の「ウリ(われわれ)式の社会主義体制」と南の資本主義体制をそのままにした、「低い段階の連邦制」「連合制」統一国家での北側のめざす目標なのだ。

 強盛大国プランが示されたのは2年前のこと。統一祖国の「扉」だけに、その時すでに総書記の頭の中には金大中大統領との対面、そして自主、平和、民族大団結による6・15共同宣言構想が存在していたことになる。そしてそれは実現した。

 しかし、このプランを実現させるためには、もう1つ大きなハードルが待ち構えていた。朝鮮との対決を共通項にした「米・韓・日共助体制」である。

「共助」のハードル

 「共助体制」の淵源がいつなのか、特定することは難しい。というのも朝鮮戦争後、冷戦真っ直中での、対社会主義という枠組下の60〜80年代と、対朝鮮だけに的を絞ったソ連・東欧社会主義諸国崩壊後の90年代以降、その質に変化が見られるからだ。

 前者を含めれば、65年の「韓日条約」締結を起点にすることができるだろうし、後者だけに限れば91年以降ということになる。

 いずれにしても、統一祖国を前提にした強盛大国プランを実現していくためには、対朝鮮対決の「共助体制」を解体するか、少なくとも統一祖国の障害にならない存在に変えなければ、「絵に描いた餅」になってしまう。

「統一」を後押し

 強盛大国プラン発表後、99年5月に米大統領任命職の朝鮮政策調整官、ペリー前国防長官が訪朝した。これを契機に朝米対話は、94年の基本合意の枠組を維持し、内容的には対話の過程で互いの懸念、疑心を論議、解消していく方向へと転換した。

 そして今年、総書記は中国を非公式訪問(5月)し江沢民主席ら首脳と、また金大中大統領との対面(6月)後、訪朝したプーチン・ロシア大統領と会談。旧来の友好・親善関係を確認し合った。

 10月、総書記特使を米国に派遣。敵対関係に終止符を打つ朝米共同コミュニケが発表され、また米国務長官が「大統領訪問準備のために」訪朝、総書記と会談した。

 こうした総書記の首脳外交の結果、かつての「共助体制」は「朝鮮半島の統一を後押しする」(金大中大統領)ものへと変質を余儀なくされた。次期政権がクリントンの政策を踏襲するのか、不安材料は残るものの、ハードルをクリアしたのである。

 94年から今日までの「1つの国家が完全に壊滅しうる最悪の状況」(労働新聞同上)下、総書記は「苦難の行軍」を呼び掛け、強盛大国プランを示し出路を開いた。

 強盛大国作りの目安は、2002年だといわれる。人生における慶事として誰もが祝福される還暦。総書記がそれを迎える年である。(厳正彦記者=おわり)

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