在日の歴史、なんでもQ&A
国旗掲揚闘争とは?
政府が禁止、各地で弾圧/闘争続け52年から無効に
Q 一九四八年頃あったという国旗掲揚闘争とは?
A 在日同胞は祖国の解放と同時に、それまで表示を禁止されていた旧韓国旗(太極旗)を各地で掲揚しました。 しかし48年9月9日、朝鮮民主主義人民共和国(以下、共和国)が樹立されると、朝聯傘下の同胞たちは9月中旬から各地で祝賀会を開き、太極旗の代わりに共和国旗を掲げるようになりました。このようなムードのなかで朝聯中央は10月10日を期に県本部主催の祝賀大会を開催し、そこで国旗掲揚式を行うことを決定します。 ところが10月8日米第8軍軍政司令部は地方軍政部司令官あてに、共和国旗又は共和国旗を示すビラの掲揚、掲示は日本国内においていかなる時も禁止するといった内容の指令を出したのです。これを受け警察庁は「北鮮旗掲揚禁止に関する国家地方警察本部長官通牒」を各管区本部長、各県警察隊長あてに緊急無線で発します。 こうして翌日に開催された神奈川県の慶祝大会から、武装警官が出動し国旗の没収や活動家の逮捕が敢行されていきます。 なかでも仙台で行われた朝聯東北協議会主催の慶祝大会では、武装警官から国旗を守ろうとした金四岩青年が米軍憲兵隊の銃撃をうけ重傷を負い、多数の負傷者、検挙者が出ました。国旗掲揚に対し銃撃までくわえたこの事件は、「仙台国旗掲揚事件」として、たちまち全国に広く知れ渡りました。 このような弾圧事件があいつぐなか、同胞たちはひるむことなく国旗を守る闘いを展開します。国旗型バッチを販売普及した活動もその一例といえます。しかし占領軍当局はこのバッチまでも禁止対象にしました。滋賀の朝鮮学校教員はバッチを付けていたことから逮捕され、軍事裁判で重労働3年と南朝鮮送還の判決を受けています。 不当な国旗掲揚禁止令は、GHQの占領体制が終結する52年4月28日以降無効になります。(金大遠、研究家) |