第2次総聯同胞故郷訪問団(11月17〜22日)

50、60余年ぶりの熱い再会
家族らと夜を徹し語り合う

統一実現に向け余生を送る決意新たに


 17日午後、ソウル入りした第2次総聯同胞故郷訪問団(メンバー105人、随行員・記者14人)は5泊6日の日程を終え、22日午後、成田空港に到着した。金浦空港で家族、親戚たちの熱い出迎えを受けた訪問団一行は18日から21日まで半世紀ぶりの故郷を訪ね、墓参りをはじめ家族、親戚たちとの温かい語らいと、会食など感激の日々を過ごした。総聯の活動に携わったとの理由から父と母の死に目にも会えず、兄弟たちとも50年以上会えずにいた1世のメンバーたちは、その間に積もりに積もったそれぞれの思いを、夜を徹し語り合った。(羅基泰、李鉉民記者)

死んだとばかり思っていた兄・姉・妹

 訪問団のメンバーの中には、今回の訪問で生死がわからなかった兄弟姉妹の消息を知り、再会を果たした人が数人いた。

 静岡県清水市に住む黄信源さん(79)は、死んだとばかり思っていた姉の黄順礼さん(85)と76年ぶりに再会した。黄さんが訪ねてくるとの知らせを受け、甥(おい)が四方八方に手を尽くし探し出したのだ。

 愛知県名古屋市に住む李基和さん(77)も、甥の努力によって解放直後に別れた妹の李マルイさん(68)と「一生忘れられない再会」を果たした。

 「妹に会えるなんて夢のよう。金正日総書記のおかげだ。感謝の気持ちでいっぱいだ」

 兄と弟2人を探し続けた神奈川県川崎市に住む韓俊洙さん(77)は、もし兄弟が見つからなかったら、1人で忠清南道保寧の故郷を訪ねるつもりだった。

 17日、金浦空港に着くとそこには韓服で着飾った兄、韓イルスさん(81)が出迎えに来ていた。

 兄弟はしばらくの間、互いの顔を見てとると、「ヒョンニム(兄さん)!」「ジュンスか!」と呼び合い、熱く抱き合った。60年と8ヵ月ぶりの再会であった。

腰が折れた状態で民族は生きていけない

 訪問団メンバーの半数は兄弟姉妹と、残りのメンバーは甥やいとこたちとの再会だった。中には解放直後の混乱で、子供たちと離れ離れになった人たちもいた。

 「日本で私は、兄妹もなく生きてきた。オッパ、オッパと呼ぶ3人の妹たちといると、兄妹とはこんなにも温かいものなのかと実感しました」

 三重県四日市市に住む尹鎮佑さん(73)は、58年ぶりの再会に熱い涙を流していた。

 帰郷は遅くなったが、総聯の活動をしてきた誇りと、子供たちに民族教育をさせた自負心を口にする訪問団メンバーに、家族と親戚たちは深い理解を示していた。

 訪問団メンバーと家族、親戚たちは再会を固く約束した。再会を果たすためには6・15共同宣言の履行が不可欠だと語り合いながら、統一実現に向け、余生を送る決意を新たにしていた。

 「もうこれ以上、腰が折れた状態で、わが民族は生きていけません」
 帰りの機中で、物静かに語った金胤坤さん(78、大阪市)の切実な思いのこもった一言が胸に染みた。

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