本名を名乗り続けることの大切さ

鄭潤心


送られてきた1枚のハガキ
民族的アイデンティティの確立を阻む

 ピンポーン、ピンポーン。気ぜわしいベルの音に慌てて玄関のドアを開けると、顔なじみの郵便屋さんが困惑した様子で立っている。「この郵便物はお宅でいいんですか?」。彼が差し出すハガキの宛名には、とうの昔に決別したはずの通名が…。

 大学への入学をきっかけに本名を名乗り始めて20年。通名から本名へと移行する過程には、煩わしさや多少の混乱はあったけれど、後戻りはしまいと心に決め、小さな迷いや葛藤を乗り越えてきたつもりだ。

 美容院に予約を入れるときも、クリーニング店でカードをつくるときも、生活のどんな細かい場面でも本名を使うことを心がけてきた。(それなのに、どうして…)。予想外の通名の出現に私は戸惑い、時間がたつにつれそれは不快感に変わっていった。

 なんとしても原因を突き止めないと気持ちが収まらない。ハガキは区が無料で実施する健康診断の案内で、差出人は健康推進課となっている。さっそく電話をかけ説明を求めることにした。担当者が会議中だというのでいったん電話を切り待つこと1時間。電話をかけてきたのは担当者ではなく、最初に応対した男性職員だった。

 彼いわく、外国人登録係から送られてくるデータに基づき、本名のみの場合は本名を、通名がある場合は通名のみを記載する仕組みになっており、通名がある場合に本名での記載を個別的に認めることはできないという。

 本人の意思を無視した機械的な処理の仕方に納得しかねていると、こちらの不満を察したのか、「隠されているケースが多いので通名のみという形をとってるんです」と遠慮がちな声で付け加えるのだった。
 もやもやした気持ちを晴らそうと電話したのが、かえって苛立ちを募らせる結果になってしまった。「優しさ」を装ったこの種の勘違いにまたお目にかかることになろうとは。

 中学卒業時、弟の担任は本名で書かれた卒業証書を人目をはばかるように、そそくさと新聞紙にくるみ弟に手渡すという「思いやり」を見せた。まるで朝鮮人であることが悪いこと、恥ずかしいことであると言わんばかりに。また、本名で受験し合格した妹に、大学側が「通名でもかまいませんが…」とわざわざ電話をよこしてきたこともあった。役所の対応ぶりはあの頃の意識となんら変わっていない。

 日本の学校に通う子供の八割以上が通名を名乗り、こうした無理解や偏見にさらされながら生活している。かつて朝鮮人を日本人化するために強制された通名が、解放後55年もたったこんにちでさえ清算されることなく、子供たちにいわれのない劣等感を抱かせ、民族的アイデンティティーの確立を阻んでいる事実とその異常さに改めてがく然とする思いだ。

 親たちが子供に2つの名前を引き継がせる結果になった背景には、生存すら脅かすほど過酷な差別があったのであり、食べていくためには選択の余地すらなかった時代が長く続いた。

 けれど、21世紀を目前にしてようやく時代は変わりつつある。出自を明かすことがタブーとされていた芸能・スポーツ界でも本名で活躍する若い世代が増えてきた一方で、日本国籍を取得した人たちの中にも民族名を名乗り、自らのアイデンティティーを大事にしていこうという動きが出てきている。

 陰に陽に「同化」を強いる空気が根強いこの社会にあって、ありのままの自分を認め、人間らしく生きていきたいという願いは多くの人に共通する思いに違いない。

 異なるものに対して閉鎖的で排他的な日本社会を、多様性を認める、より暮らしやすい社会にしていくためにも、日々の煩わしさや無理解に負けることなく、いつでもどこでも本名を名乗り続けることを大切にしていきたい。(東京都在住)

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