春・夏・秋・冬

 日本軍性奴隷制を裁く「女性国際戦犯法廷」が8日から東京で開かれる。アジアの民衆の間で、日本の戦争犯罪と植民地支配に関して、共通の判断、共通の尺度を形成していこうという初めての大規模な共同の試みに、内外から関心が高まっている

▼折もおり、「花岡事件訴訟」が「基金」形式によって和解が成立したことをマスコミは大々的に報じた。国際戦犯法廷を前にして「日本は精一杯誠意を尽くしている。あんまり騒がないでほしい」といわんばかりに、世論をほかに向けさせているかのような印象だ

▼「法的責任と補償の性格を含まなかった」(鹿島広報室)、申し訳ばかりの「基金」形式による和解勧告。「従軍慰安婦」問題について戦犯法廷がどういった判決を下すのかが注目されるところだ

▼しかしながら、この社会の中で戦争と暴力によって苦しめられた被害者たちの痛みの声が伝わっているのか、戦争責任に 
対するある種のコンセンサスが定まっているのかといえば、否である。目をほかに転じて見ると、それはくっきりとしてくる

▼例えば、今世紀最後の月刊雑誌の特集。戦争と暴力の世紀を総括するどころか、意図的に覆い隠しているかのようだ。そして、相も変わらぬ戦争責任の否認の繰り返し。歴史修正主義者の書籍が書店の棚にところせましと積み上げられ、読み続けられている異常さ

▼「花岡事件」の報道を読みながら、南の元「慰安婦」ハルモニたちの言葉を思い出した。「日本政府が法的責任を認めるまでたたかい続ける」(映画「息づかい」から)。(舜)

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