女の時代へ

ハルモニたちが歩んだ20世紀

過酷な運命に耐え、
歴史に立ち向かった強さ


 朝鮮女性にとって20世紀はどのような時代であったのであろうか。19世紀末から20世紀半ばにかけて日本帝国主義によって朝鮮全土は銃剣の林に覆われた。至る所で血なまぐさい蛮行が繰り広げられた。殺し尽くし、奪い尽くし、焼き尽くす非道。そして、多くの人々は故郷を追われ、いつ帰るとも知れぬ流浪の旅へ。その苦難の中で人々は決して折れることなく、耐え、生き抜いた。とりわけ朝鮮女性たちは日本の植民地支配と女を徹底的にさげすむ封建制に対し、たたかわねばならなかった。その苦難の道のりは、朝鮮女性の強さと尊厳を取り戻す過程でもあった。20世紀が過ぎようとしている今年、「語り継ごう20世紀の物語」の企画でハルモニたちの歩みを現場で取材した。(朴日粉記者)

人に頼らず、人に尽くす生き方

 ハルモニたちの率直な話を聞いてみたい、そう思って取材を始めたのだが、一筋縄ではいかないことばかり。あまりにも波乱万丈の人生。成功の陰にある血の涙の物語。真実を書けば、家族の名誉を傷つけることになるかも知れない。あるハルモニは1日たっぷり話した後に、「やっぱり新聞に載せないで」と断ってきたこともあった。

 慶尚道なまりが強すぎて、せきを切ったように溢れ出るその言葉についていけないことも。意味を大まかにしか理解できず、何度も確認しながら話を聞き終わると、すでに日が暮れようとしていた。回りの人々や子供たちからも話を聞き、記憶違いを確認する作業も重ねていった。

 その過程でハルモニたちのつましい生活ぶりをのぞくことができた。暮らしの隅々に行き渡る知恵や賢さ。倹約術、健康な過ごし方などに感嘆した。学校の回りを清掃したり、余り切れで雑巾を寄付したりして、地域社会からも尊敬されるハルモニたち。誰もがみな優れた社会性を身につけた 女傑たち だった。

 過酷な運命を自分の力で変えて、不幸のどん底から幸せを引き寄せた女性たち。函館の洪鐘純ハルモニ(86)は、今年の4月、60年ぶりに帰国した。1939年、夫が慶尚北道軍威から徴用第1船で、北海道美唄炭坑に連行された。翌年、生まれたばかりの乳飲み子を胸に抱き、釜山、下関、小樽へのすさまじい船旅の末、夫の下へ。家事や商売に長けた才覚で、艱難辛苦をしのぎ、敗戦後は自分の店を持った。38年間も女性同盟分会長として同胞たちの暮らしを助けた。しかし、強盗に襲われたり、長男に先立たれたりその人生は苦難の連続だった。そのことはおくびにも出さず、帰国のその日まで女性同盟の顧問の仕事を果たし、年内の自分の会費はもちろん会員たちの会費のすべてを収めた。「女性同盟の一員として当たり前のこと」とハルモニは微笑んだ。

 人間的な魅力と品性に満ちたハルモニたち。とにかくじっとしていない。80歳を過ぎても、総聯支部の事務所に出かけ、掃除をして、活動家たちの昼御飯を用意し、その合間にチャンゴで踊って、汗を流す。人に頼らず、人のためには献身する。私があったハルモニたちは、みんなこんな風に日々を送っていた。

 米寿を迎えた京都の権福善顧問(88)は40年間、女性同盟の分会長をして、そのバトンを長男と次男の妻たちに引き継いだ。そして、今でも毎年、祖国に出かけ、帰国した子供や孫たちの顔を見ることが生きがいだと話してくれた。

 鄭必順さん(78)は父の死によって運命が一変。故郷を離れ、日本に来て結婚したが、夫の裏切り、死によって4人の幼子を抱えて食糧難の戦後を独力で乗り切らねばならなかった。戦後まもない頃、税務当局に差し押さえを受けながら、果敢にたたかった話は圧巻だった。「全部1円で収めてやろうと持っていったらしまいには要らないと言われたよ」。反骨精神があったればこそ、女1人で荒海を航海できたのである。

 半世紀前のことをまるで昨日のことのように話すハルモニたち。時には恨みも悔しさも涙もあるが、口調にはみじんの暗さもない。どんな逆境にあっても、絶望のふちに立たされても、決して弱音を吐かなかった人のたくましさがあった。

 そのハルモニたちの力の源は何かと思う。それは「痛みをエネルギーに代えて」、家族のために、祖国のために歯を食いしばって強く生き抜く朝鮮人としての自負心だった。

 どん底の中にあって思いをはせるのは、子供を人間性豊かな朝鮮人に育てねばというオモニとしての熱い思いであった。朝鮮民族のすさまじい百年の歴史に耐えて、毅然(きぜん)と歴史に立ち向かったハルモニたち。だからこそ、6月の北南首脳会談が実現したことを心の底から喜べるのだ。

 「この半世紀、様々な涙を体験した。故郷から旅立つ時、父母との別離の涙。子を生み、育て、わが子の結婚を見届けた時の喜びの涙。夫に先立たれ時の慟(どうこく)…。でも、今回ほど、自分自身にとって幸せの涙、感動の涙を流したことはなかった。それは子孫の幸せ、民族の未来の幸せを約束する希望の涙なのです」と語った広島・尾道市の金順伊ハルモニ(77)の言葉が鮮烈だった。

 6月以降、どのハルモニも「もっと長生きしたい」と語るようになった。民族全体の運命と不可分に結びついているその幸福感。「統一祖国が今そこにある」という確信に違いなかった。

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