第2回北南離散家族相互訪問

もう統一は半分実現 
絆取り戻し、一つになった家族

米国から駆けつけた人も


 【平壌、ソウル発=本社記者取材団】北南の離散家族、親戚の第2回相互訪問が11月30日〜12月2日、ソウルと平壌でそれぞれ行われた。共に100人規模の訪問団は2泊3日の日程中、初日にはホテルの公開された場で、2日目には部屋で個別的に、家族、親戚との感激的な対面を果たした。両日とも夕刻には、平壌では平壌市人民委員会と朝鮮赤十字会、ソウルでは大韓赤十字社と統一部長官が、それぞれ宴会を催した。

平壌

 平壌の再会会場には、日本からの帰国者の姿もあった。1964年に帰国し、咸鏡南道で暮らすセメント工場の支配人、チョウ・ヨンボンさん(64)だ。彼の故郷は済州道。日本に1人、南に3人の姉がいる。

 解放直後の混乱のなかで、生活苦から2番目の姉を頼って渡日したヨンボンさんは、大阪で7年間暮らした後、北へ渡った。

 その後も、日本で暮らす2番目の姉が祖国を訪問するたびに南の姉たちの消息は聞いていたが、それも、日本の姉が病に倒れてからは途絶えてしまった。

 しかし今回、済州道に暮らす3番目の姉、チョウ・ギオさん(69)が南側訪問団の一員として平壌に来て、弟のヨンボンさんと46年ぶりに再会を果たすことになったのだ。

 「こうして再会の喜びを分かち合うと、もう統一が半分は実現したかのようだ」と南から来た姉が言うと、北の弟、その家族たちは大きな拍手と笑顔で同意した。

  「総聯同胞の故郷訪問団も実現した。大阪にいる2番目の姉も近く済州道に行けることだろう」と話す弟。北と南、日本に別れて暮らす5人の姉弟が1つの場に集まり、再会を喜び合う日が近いことを確信し、「家族全員、統一のための道で生きて行こうと約束しました」。

ソウル

 今回、生まれ故郷のソウルを半世紀ぶりに訪れたのは、金日成総合大学の教授、キム・ヨンファンさん(70、平壌市在住)だ。

 朝鮮戦争勃発直後、東国大学で文学を学んでいたヨンファンさんは義勇軍に参加し、北へ向かった。工科大学で教えていた長男の兄、ヨンダさん(77)も北に向かう他の科学者たちと行動を共にした。

 2人の息子が北へ渡った後、南で「アカ」のレッテルを張られた家族に苦労は尽きなかった。父は戦争中に殺され、ソウルの家も奪われた。2人の弟は60年代に生活の場を求めて米国に移住し、70年代末には息子を頼って母も渡米した。

 90年、米国で暮らす弟が北を訪問したことにより、ヨンファンさんは家族の消息を知ることになった。その時、弟はその3年前になくなった母の形見をヨンファンさんに手渡した。それは、家族・親戚の生年月日と連絡先が記された手帳と、ヨンファンさんの小さい頃の写真だった。

 それを機に、ヨンファンさんは各地に暮らす家族らの生活ぶりを収めたアルバムを作った。彼は今回、それを抱えてソウルにやってきた。そして南に残った姉のオギンさん(80)はもちろん、米国からかけつけた双子の弟ヨンチョルさん(63)、ヨンウさん(63)と再会し、ともにアルバムを見ながら話に花を咲かせた。

 「姉と4人兄弟の5人のうち、4人が集まった。みんな元気で何よりだ。次は平壌にいる兄もきっと一緒に会えるだろう」とヨンファンさん。彼のアルバムには、記念すべきこの日の写真も加わった。

日本語版TOPページ