日本軍性奴隷制裁く「女性国際法廷」
有罪判決にマンセー
恨を晴らしたハルモニら
「マンセー」。喜びを表わす北と南の被害者たち
「天皇と日本政府は有罪」。「マンセー」(万歳)。ハルモニの声が会場に大きくこだました。手を取り合い、抱き合う。頬には涙がつたう…。アジア各国から集まった64人の被害者たちは、「正義の判決」を勝ち取った。
犠牲者の分まで 判決後、主催者が被害者全員を舞台に招いた。朝鮮から来た金英淑さん(73、平安南道在住)は、うずく足を引きずりながら、被害者の朴永心さん(78、南浦市在住)と共に壇上に上がった。最初は二人で並んでいたが、すぐに南のハルモニたちと抱き合った。そして手を握り、その手を大きく挙げ「マンセー」。その笑顔には、ある種の達成感がみなぎっていた。 12歳の時に慰安所に連行されたその夜、「中村」という名の将校に下腹部をナイフで刺されて気絶。想像を絶する性奴隷生活の始まりだった。足が不自由なのは、軍靴でめちゃくちゃに足を踏みにじられたせいだ。骨折したが、まともな治療は受けられなかった。 当初、金さんのいた「慰安所」には25人の「慰安婦」がいたが、殺されるなどして、生き残った女性はわずか5人。「日本のどこかに生きている中村のような人でなしを、犠牲になった『従軍慰安婦』の名で懲罰したい」。健康状態は芳しくないが、強い意志を胸に加害国・日本の地を踏んだ。 法廷でも力強く証言した。金さんの壮絶な性奴隷生活を物語る映像に、聴衆は息を呑んだ。軍刀で切りつけられた跡やタバコの焼跡…。まさに奴隷そのものだった。 「70を越えたが、このことは絶対に忘れない。花のような青春を奪った日本政府は謝罪しろ」 その訴えが反映された判決だった。 中国の南京、上海やビルマ戦線で性奴隷生活を強いられた朴さんは、中国―ビルマの国境付近で捕虜になった際、米写真部が撮った写真に妊婦姿で写っていたことが判明。法廷でその事実を証明するため、証言を重ねてきた。 「何回話しても日本は謝罪しない。それが悔しかった」という。 訪日の期間、ハルモニたちに付き添っていた徐玉善さん(48、「従軍慰安婦」・太平洋戦争被害者補償対策委員会委員)は、舞台に立つ2人から目を離さず、終始、涙を拭っていた。 「ハルモニたちが胸に秘めてきた正義が果たされたのです。月日が経っても、罪を犯した人間が死んでも、歴史の事実は消えることはありません」 被害者の尊厳回復へ道筋 罪を犯した者を罰する――。この当然の法理が、日本軍「慰安婦」問題には適用されて来なかった。 戦後、日本軍の性奴隷犯罪が裁かれたことがある。米国、オランダ、中国による七ヵ所の軍事裁判で、オランダ人女性らに性奴隷行為を強いた旧日本軍軍人11人に、死刑を含む有罪判決が下されたのだ。ところが、朝鮮人をはじめ、アジア女性に対する加害行為は、連合国の軍事裁判では一切裁かれなかった。 「民間業者が従軍慰安婦を軍とともに連れ歩いた」(90年6月、労働省局長、国会)。日本政府のこの発言で、被害者の怒りは一気に噴出した。アジア各国では被害者の証言が相次ぎ、被害者の尊厳回復を求める国際的な支援が広がった。 国連人権委員会も日本軍「慰安婦」問題に関する報告書を作成、「慰安婦」制度は戦争犯罪で、戦争犯罪には時効がないとし、日本政府に責任者処罰、謝罪、賠償、真相究明などを求めた。世界は責任を回避する日本政府に謝罪と補償を促し続けた。 「昭和天皇は有罪」。このたびの女性法廷は、史上初めて最高責任者に有罪の判決を下した。 判決に法的拘束力はないものの、被害者が心から望む道筋が初めて示されたという点で、その意義は大きい。 しかし、日本政府は依然として国家の法的責任を否定し、「女性のためのアジア平和国民基金」(民間基金)を運営している。「慰安婦」の事実は、教科書から消えていく。日本で係争中の裁判はすべて敗訴だ。 正義を求める運動は、21一世紀に持ち越されることになったが、すでに被害各国、日本では、「判決」を実行するための作業が始まっている。ベトナム戦争の最中に、市民らによって開かれたラッセル法廷(一九六七年)は、米国とその同盟国が人道に対する罪を犯したと断罪し、ベトナム反戦運動の大きなうねりを作りあげた。 今回、日本政府を審判の場に立たせたのは、被害者の痛みを真しに見つめた市民の力だった。判決を実行させる課題が残った今、その力が問われている。 |