在日朝鮮人の20世紀C

人権、生活権の獲得と擁護


在日同胞の権利を守るため開かれた中央大会(69年5月)


祖国への帰国、往来の実現

 1945年8月15日、在日同胞が祖国解放の喜びにわいたのも束の間、今度は祖国分断の苦しみを味わうことになった。

 しかし、55年在日本朝鮮人総聯合会を結成し、困難に一致団結して立ち向かった。

 差別と抑圧のなかで職らしい職につけず、最底辺の生活を余儀なくされた同胞たちの間から、「帰国して社会主義祖国の懐に抱かれ、社会主義建設に貢献したい」という思いがふつふつと沸き起こってきた。

 58年12月1日から「帰国実現署名運動」(59年1月まで)を日本各地で展開、法務省、赤十字、自治体に働きかける一方、神戸から東京間の自転車行進を行い、日本市民にも広くアピールしていった。

 日本政府は、59年2月、在日同胞の共和国への帰国を認めるとの「閣議」を発表し、朝・日両国赤十字が在日朝鮮人の帰国協定に調印。同年12月、第一次帰国船が新潟港を出港、在日同胞が夢にまで見た祖国への帰国が実現した。

 その後、一時中断したが、71年に再開した。また65年、日本再入国の権利を勝ち取り祖国往来の道も開かれ、79年からは、定期的な祖国訪問が実現している。

粘り強い在留権闘争で特別永住者に

 在日同胞は、かつて日本の植民地支配によって日本に強制移住させられた人達、およびその子孫だ。

 だが、日本政府はそのような歴史的経緯を無視して、在日同胞の在留権を保障するどころか、不安定な状態のまま放置した。ちょっとした法律違反を理由に、退去強制処分を科し、悪名高き長崎・大村収容所に入れ、強引に南朝鮮に引き渡したりした。

 総聯は、こうした現状に対し、日本に生活基盤を置く、在日同胞の在留資格が不安定なのは不当だとして、日本政府や関係省庁にその保障を再三申し入れてきた。

 とくに、65年の「韓日法的地位協定」締結後、歴史的背景を同じくする在日同胞の在留資格の一本化を求める運動を展開した。

 82年に日本は、「出入国管理および難民認定法」改正にともない歴史的事情を有する在日同胞に、同条約に基づく特例永住制度を設けた。その後、91年には、特例永住、協定永住が一本化され特別永住制度が新設された。

 特別永住権は退去強制条項を残したままで、在留権が完全に保障されたとはいえないが、総聯の粘り強い運動によって得た権利だといえる。

外国人登録法の抜本的改正求める

 52年4月、外国人登録法が交付、施行された。

 外国人登録法は在日同胞を取り締り、管理と規制のもとに置く狙いでスタートした法だ。その証拠に、56年の国会答弁で法務大臣は、同法について「日本の治安関係から必要がある」と答弁した。

 総聯は、この外国人登録法の指紋押なつと常時携帯、刑罰制度などを廃止する抜本的改正を一貫して求めて来た。

 とりわけ外登の常時携帯義務(16歳から)は同胞たちに精神的苦痛を強いてきた。
 例えば、近くの銭湯に行こうとした同胞が、後を付けてきた警察に呼び止められ、外登の提示を求められたところ、うっかり忘れたと答えてそのまま留置所に連行され、重罪人扱いを受けたケースもあり、裁判がたえなかった。

 80年代後半から、16歳という年齢を前にした各地の朝鮮高級学校生徒たちが、「私たちは罪人ではない。犯罪人扱いをした指紋押なつは廃止して」と、その苦痛を訴え、世論を呼び起こした。

 こうした声に押されて外登法は92年、一部改正され、特別永住者と永住者には指紋押なつの義務が、罰則から体刑がなくなった。さらに、今年4月1日からは指紋押なつの全面廃止、登録事項の削減と確認期間の延長などが盛り込まれた。だがこうした手直し的な改定は、在日同胞を取り締まるという基本的な性格には何ら変化はなく、常時携帯・提示の義務、刑罰規定の廃止がなされてこそ真の改正だと言えるのだ。

各種社会保障からの国籍条項撤廃

 日本政府は長く在日同胞に対し、各種社会保障の適用から「国籍条項」を理由に除外し、差別的な扱いをしてきた。

 総聯は在日同胞の生活と権利擁護、とくに社会保障と福祉権利の獲得を重要な課題に掲げてたたかってきた。

 こうした結果1982年、社会保障の関係法から「国籍条項」が撤廃され、85年には国民年金法を改正し、86年4月の施行時に60歳未満の在日同胞ら定住外国人に、年金の受給資格を認めるなど一部を改善した。

 だが、もっとも救済されるべき60歳以上(当時)の在日同胞は排除されたままだ。また、在日同胞障害者は国民年金法改正でも処遇が改められなかったため、当時、34歳を越える同胞障害者は今も無年金状態におかれている。

 年金問題などの社会保障は、何よりも日本政府が植民地支配の責任を感じて、措置を講じるべきであり、また高齢者、障害者の現状を考慮して全面的に責任を負うべき問題だ。21世紀に持ち越されることになったが、早急な取り組みが求められている。   (金美嶺記者)

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