女性国際戦犯法廷

共にたたかう世界の女たち

「不処罰」に終止符/暴力のない21世紀を
あぶり出された日本軍の蛮行


 8日から開かれた日本軍性奴隷制を裁く「女性国際戦犯法廷」(女性法廷)を傍聴した。会場の東京都千代田区にある九段会館は、各国のNGOを含む2000人の聴衆で埋まり、この問題の法的責任を果たそうとしない日本政府を世界の女性たちが徹底的に追及した。日本政府を追いつめるたたかいの裏には、被害女性を支えてきた世界の女性たちの長期にわたる勇気あるたたかいの軌跡があった。(朴日粉記者)

烈々たる気迫

 女性法廷にふさわしい国際的な顔ぶれがそろった。まず初日に開廷の言葉を述べた国際実行委員会共同代表の松井やより・「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク代表、尹貞玉・元梨花女子大学教授。尹さんは被害女性たちとほぼ同年代。日本の植民地時代の受難を通して「彼女らの苦痛をわが身の苦痛」として受けとめ、「歴史の闇の中に忘れ去ることは、2度殺すことになる」という烈々たる気迫でこの問題に取り組んできた。80年代からアジア各国の元「慰安婦」の足跡をたどり、その調査の記録を90年1月、ハンギョレ新聞に発表した。これが起爆剤となって、「韓国」の女性団体が行動をし始め、アジアだけでなく世界中に力強い影響を与えた。

 松井さんは長い間新聞記者として、女性の人権侵害やアジアでの開発独裁に警鐘を鳴らしてきた。尹さんの果たした役割に高い敬意を持ち、90年代から南朝鮮はじめ各国の被害女性の丹念な取材を重ねていた。

 「ナヌムの家」を訪ねた時、「ゴミのようなクズのような、何の値打ちもない私の所に訪ねて来る人がいるんですか」と盲目のハルモニが語りかけてきた。「その時、誰がこういう目にあわせたのか、責任を明らかにしなくてはならない」と松井さんは強く思った。その衝撃的な出会いが女性法廷実現の原動力となったのだ。

 法廷で起訴状を読み上げたのは、米国のパトリシア・セラーズ首席検事。「女性を日本軍の性奴隷としたことは、戦時下の国際法違反であり、本法廷は人類への犯罪を裁き、被害者の尊厳を回復する」。力強い声が会場内に響き渡り、日本軍性奴隷制の主犯が次々と告発されていく。「昭和天皇裕仁、東条英機元首相、板垣征四郎・元陸軍大臣、松井石根・元上海派遣軍司令官…」。

 セラーズさんは国連の旧ユーゴとルワンダ国際戦犯法廷の現役の法律顧問。7月、マニラの検事会議で発言し、「私は個人の資格ではなく、国連旧ユーゴ法廷の正式な許可を受けて来ました。それは旧ユーゴ法廷が女性法廷を公に支持することを意味します」と立場を明らかにしていた。そして、「慰安婦制度」を国際的に大きな衝撃をもたらした「旧ユーゴやルワンダでの性暴力とは比べものにならないほど大規模で組織的な国家犯罪」と断罪し、女性法廷の最大の目的を「日本政府に謝罪と賠償をさせるように圧力をかけること」(「世界」12月号)だと語っていた。

 一方、セラーズさんらと向き合う裁判官の1人、ガブリエル・マクドナルドさんは同じ旧ユーゴ法廷前所長。戦時の性暴力を世界で初めて本格的に裁いた同法廷の歴史的重責を果たした人である。最終日、「人道に対する罪」で昭和天皇を有罪とした。歴史の闇に追いやられていた女性の尊厳と正義を回復する審判が下った瞬間だった。

 そのほか、高橋哲哉・東大助教授、大越愛子・近畿大教授、頭目ゆき・大阪外大助教授ら多くの学者らも協力を惜しまなかった。

南北共同で

 女性法廷で内外の注目を浴びたのは、南北朝鮮共同検事団による共同起訴状。そこでは日本の植民地支配下で朝鮮人は「服従するか、さもなくば死を選べ」(初代朝鮮総督寺内正毅)という奴隷以下の境遇におとしめられていた事実が指摘され、その中で「20万人の朝鮮女性が拉致、連行され、性奴隷としてあらゆる虐待を受け、多くが殺害された」と告発した。

 一方、11日には「現代の紛争下の女性に対する犯罪」をテーマにした「国際公聴会」が開かれ、過去と現代における戦争犯罪を明らかにし、不処罰に終止符を打たねばならないと強調した。

  この会議ではクワラスワミ国連人権委特別報告者が発言し、「慰安婦だった方々は、勇気とは何かを教えてくれた。隠されてきた事実が公になることは平和への1歩だ」と力強く語った。96年のクワラスワミ国連人権委勧告は、「慰安婦」制度が「日本軍性奴隷制」であると認定し、日本政府に対し、謝罪と賠償、責任者処罰を迫った。国際社会が認識を共有するに至った画期的なもの。当時、日本政府が勧告を否認しようと卑劣なロビー活動を展開して、各国政府、NGOの激しい怒りを浴びたことは記憶に新しい。

 会場に隣接する日本遺族会運営の昭和館。そこには「戦中・戦後の国民生活の労苦に関わる歴史的資料」(展示パネル)が整然と陳列されていた。日本人の戦争被害だけを強調して「自国の軍隊が何をしたか」という事実を覆い隠す姿勢が際立つ。

  しかし、対照的に法廷ではアジア全域にわたる血なまぐさい軍人の非道が、次々とあぶり出されていった。敗戦から半世紀過ぎても、人々の記憶はなお鮮明である。

 「法廷」に、「被告」の日本政府関係者は姿を見せず、主催者の参加呼びかけを無視した。あくまでも責任を回避しようとする日本政府の醜悪な態度は、世界の女性たちの目にどう映っただろうか。事実を隠ぺい、否認、わい曲、抹消することは、もはや許されないのだ。

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