在日朝鮮人の20世紀E

同胞経済――商工人の歩みと活動


商工人の誕生と商工団体の結成

 在日本朝鮮人商工連合会(商工連)の梁守政会長は、「(在日同胞)1世の歴史は苦労の歴史。厳しい状況下でも商売を営み、民族差別を受けながらも企業を発展させてきた」と、50余年の思いをつづっている(朝鮮商工新聞96年2月27日付、当時副会長)。

 強制連行などで渡日を余儀なくされた同胞が、祖国解放後の日本で生計を立てる厳しさは、並大抵ではなかった。日本政府の民族差別政策によって、就職の権利すら保障されなかったためだ。

 屑鉄回収や土木業、ゴム製品の修理加工など、同胞は限られた資金と、強制労働の日々で得た技術をもって、起業のすべを模索した。文字通り、ゼロからのスタート。同胞商工人の始まりである。

 46年2月には、全国の商工人を網羅する商工団体として、商工連が結成。59年6月には総聯に加盟した。商工連は「産業経済に総力を傾ける」ことと「同胞の生活向上と互恵的経済の発展を期する」ことを綱領に掲げ、商工人の企業権と財産権を守る権益擁護団体、経済専門団体として、商工活動のサポート役を果たしている。

企業権・財産権を守るたたかい

 同胞商工人と商工団体が歩んできた50余年には、日本政府の弾圧と差別に抗い、企業権と財産権を守るたたかいの歴史があった。

 日本は49年2月、当時の米占領軍(GHQ)の命を受けて「外国人の財産取得に関する政令」を法制化しようと図った。日本に居住する外国人が土地や建物、工場設備などの財産をもって企業活動を行うことを禁じるもので、在日同胞にも適用して財産取得を制限しようとしたのである。

 同胞商工人はすぐさま、同胞への政令適用除外を求める運動を展開。その3年後、日本政府に適用除外を明文化させるに至った。

 在日同胞は、企業活動に必要な融資も、日本政府の「融資禁止令」によって不当に制限されていた。これに対し、同胞は自力で資金を調達するための民族金融機関設立に動き、52年6月に「同和信用組合」(後の朝銀東京信用組合)が誕生、全国各地で設立が相次いだ。97年11月には、近畿地方の朝銀信組が合併、大阪を含む2府4県をカバーする朝銀近畿信用組合が業務を開始した。

地域密着めざす朝鮮商工会

 商工連の結成当時、地域商工会は数えるほどしかなかったが、現在は、全国46の都道府県商工会と190余の地域商工会を網羅する。

 商工会は、同胞奉仕の理念を掲げ、経営と生活における商工人の便宜を図る地域密着型の商工団体である。その活動は、確定申告作業のサポートや各種の資金調達あっせん、経営診断など多岐にわたる。毎年、確定申告の季節になると多くの同胞が地元の商工会を訪れ、有資格者が対応に当たる。

 長引く不況で、商工人の9割以上を占めると言われる中小企業経営者にとって深刻な資金調達は、とくに力を入れている分野だ。

 神奈川県商工会では、日本の労働省の委託を受けて、中小企業の労働保険の申告手続などを行える「労働保険事務組合」の認可を、今年四月に取得。書類作成代行や保険料徴収業務などを手掛ける。

 商工会単位で組合認可を得るケースは少なくなく、大阪府商工会や兵庫県商工会でも、独自に組合を設けて専門業務を行っている。「申請時の手数料や国からの報償金を同胞に還元できる」(神奈川県商工会)などの利点もあり、商工人の信頼を一手に担っている。

 各地の総聯本部・支部で結成が相次いでいる同胞生活相談綜合センターとも、経営部門を引き受ける形でタイアップを図っている。

商工人のネットワークづくり

 商工団体のもう1つの重要な役割は、同胞商工人に幅広い情報交換の場を提供することである。商工人同士が顔を合わせる機会を積極的に設けることで、専門知識の取得だけでなく、ネットワーク作りにも一役買っている。

 代表的な例が、各地商工会で行われる経営セミナー。融資問題や情報技術(IT)分野、倒産回避術など、ジャンルは多彩だ。同胞だけでなく日本の識者も講師として登場し、商工人に経営上の知識をアドバイスしている。

 同胞飲食業の「代名詞」焼肉店経営に関しては、97年から「朝鮮料理(焼肉)店経営集中講座」を開催し、毎年多くの同胞経営者が、自店の経営に生かせるノウハウを取得している。今年は初めて、朝鮮食文化が根付く街・大阪でも開催、人気を博した。

 東京の豊島・板橋・練馬の3商工会のように、近隣の商工会が共同で行事を催すことで、イベント規模の拡大と商工人同士の交流を独自に図るところも増えている。

 ネットワーク作りにはメディアの存在も欠かせない。48年5月創刊の商工連機関紙「朝鮮商工新聞」は、97年に2000号を突破、商工人に幅広い経営知識を提供する同胞経済専門紙としての役割を果たしている。(柳成根記者)

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