わがまち・ウリトンネ(39)/横浜・中村(2) 金南珠


筆や紙なく土の上を指でなぞる
故郷で密かに覚えた文字

 「朝鮮女性の中には、文字を読めない文盲者が多くいるでしょ。祖国解放(1945年8月15日)前まで朝鮮半島では、男女の差別が激しく、女性が勉強するのはなかなか難しかったんです」

 中村トンネについて語る途中、金南珠さん(83)は、故郷のトンネ(慶尚北道慶山郡南山面)での出来事についても話してくれた。

 これは、朝鮮女性の昔の処遇を知る貴重な体験談である。

 金さんの父は、書堂(初学者に漢文を教える私塾)の先生だった。にもかかわらず金さんは、女性が勉強すると生意気になるという、朝鮮で古くから伝わる習慣によって、文字を学ぶことを断念させられた。

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メ  モ

 書堂の起源は、高句麗時代(紀元前277〜668年)の※(=ノの下に尸、その下に冂、その中に口)堂(けいどう)、高麗時代(918〜1392年)の郷先生、高麗末・李朝(1392〜1910年)初期の書斎にさかのぼる。書堂として全国の各郷村(トンネ)に設けられたのは、李朝中期(17世紀)以降である。解放後は、成人用の漢文塾などのほかはすべて消滅した。

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 同じ年ごろの男子は書堂へ通っていた。金さんは興味津々で、何をしているのか、直接書堂に行き耳をそばめて聞いていた。しかし、誰かに見つかれば、後で父に告げ口され怒鳴られる。だから「ドキドキしながら聞いていました」。

 父に「文字を学びたい」と言うだけで叱られるとは思っていたが、勉強したいという気持ちは抑えられなかった。

 「そこである日、勇気をふり絞って、父にその旨を告げました。父は『このことは誰にも言ってはいけないよ』と言いながら、密かに文字を教えてくれました。パラ―プン(風)字、ヌン―ソル(雪)字と」

 金さんは書堂に通っていたわけではないので、当然、筆や紙は持っていなかった。しかし必死の思いで父から習った文字を覚えようと、それ以来、土の上に指で習った文字をなぞりながら、1字ずつ覚えていったという。

 父からは、歌も教わった。

      この身でたたかい倒れれば
      代を継いででもたたかい
      錦繍江山三千里に陽春を迎えて
      独立万歳を
     朝鮮よ、うたってくれ

    (「南山の青い松」の3番、編集部訳)

 「民族運動家、金享稷先生が作った歌です。父はこの歌を歌いながら、こう言いました。『国はいま日本の植民地支配下にあるが、それは一時的なものだ。祖国は必ず独立する』と。そして45年、祖国は解放されました。あの時、父がなぜこの歌を教えてくれたのか、解放と同時に、その意味が分かりました」  (羅基哲記者)