本社主催−在日朝鮮学生文学作品コンクール
教育現場から/ウリマルで書くことの意味
「自分」見つめる出発点
感動、発見 「生きる力を」育む
朝鮮学校児童、生徒らの朝鮮語(ウリマル)による作文、表現力の向上を目指して行われてきた本社主催の在日朝鮮学生文学作品コンクール。今回で22回目を迎えたが、日本に生まれ育った3、4世がウリマルで文章を書く作業は、生徒たちの成長においてどんな意味を持つのだろう。担任を受け持つ生徒が韻文、散文部門で1位に入賞した南部初級の成明美先生らに教育現場の話を聞いた。
週1回の交換日記
神奈川・川崎市溝の口にある南武朝鮮初級学校。今回のコンクールに、クラス全員が応募した初級部5年担任の務める成明美先生(39)は、機会あるごとに児童たちに作文を書かせてきた。
朝鮮学校に通う児童たちは3、4世が大多数を占める。日本社会で暮らす彼らがウリマルで気持ちを表現するのは簡単なことではない。
だから、作文の時間は「単語の質問」がひっきりなしだ。「ソンセンニム(先生)、『待ちどおしい』はウリマルで何というのですか?」。
「聞く、話す、読む、書く。この4つがマスターできてこそ言語を習得できたといえる。ウリマルで思考する癖がついていないと文章は書けない。自分の思いを100%ウリマルで綴ることで、ウリマルでものを考える力をつけさせたいのです」
作文のテーマは学校の行事や課外授業についてが主で、時には自由なテーマでも出す。クラスの児童とは毎週1回日記を交換し、植物の成育過程を観察日記に綴らせる課題を出したりもする。
「日々の感動を人生の宝物に」、と子供たちには、作文をまとめた文集を毎年プレゼントしている。
ウリマルで書くことに慣れてくると、日本語で文章を書く時、ウリマルの単語を挙げながら「日本語でなんていうんですか?」という質問が出てくる。ウリマルでものを考えている証だ。
自問自答の過程に
「現代の子供たちは、考えることを『閉ざす』環境に置かれていると思う。テレビ、ゲーム、CD…。スタートボタンを押せばゲームが始まり結果がでる。『なんでだろう』『どうなるんだろう』と疑問を差しはさむ余地もなく、答えが早々と出てしまう。自分の頭で考え、自問自答する過程があってこそ、自分の足で歩める力が付くと思うんです」
成先生が作文にこだわるのは、ものを書くことが「生きる力」を育むからだ。
「感動や発見があってこそ『書きたい』『表現したい』という気持ちが出てくる。色んなことに関心を持つきっかけを与えるのが作文だと思うんです。だからこそ何かを感じたり、発見できる様々な体験をさせることが大事。
『どんな気持ちだった?』『どうしてそう思ったの?』と聞くと、発見や感動、疑問がどんどん出てくる」
無限の可能性
昨年の春まで、神戸朝鮮高級学校で教鞭をとっていた朝鮮大学校教育学部の梁玉出助教授(48)も、作文が生徒の成長に与える影響の大きさを実感している1人だ。
「ある生徒が通りすがりに『先生、言葉って大事ですね』と話しかけてくるんです。『なぜ』と聞くと、米国を旅行したときに、ウリマルを話せない息子を悲しむ在米コリアン1世、日帝時代に日本語を習ったからと同じ民族同士なのに日本語で話しかける同胞と会い、幼いころからの民族教育が大切だと思ったそうです。当たり前のように通っていた朝鮮学校を再認識したんですね。その体験を書かせ、コンクールに応募しました。生徒たちはいい『ネタ』を持っているんです。要は教員がそれをいかに引き出してあげるかです」
今回のコンクールで初級部門の審査委員を務めた梁助教授は、「22年間、中断することなく行われてきたコンクールでは、子供たちの素朴な感性で同胞の様々な姿が描かれてきた。生み出された作品は同胞社会の貴重な財産です」と話す。
一方、今後の課題として「年齢が上がるごとに作文のテーマが限られる問題点を克服すべき」と指摘しながら、そのためには、「生徒たちの自由な発想や新鮮な発見をウリマルで表現する力を育むべき」と強調した。
「世代が変わっても、生徒たちが自分の思いを『自分のことば』で表現する作業は、自分が誰かを再認識する出発点となります。これからもその『力』を育んでいきたい」(張慧純記者)