書 評
「日本の朝鮮侵略思想」/琴秉洞著
歴史の真実をみつめるうえで必要な入門書−水野直樹
本書は、日本と朝鮮との歴史的関係を人物とその思想を通して明らかにしようとしたものである。神話上の神功皇后に始まって、豊臣秀吉、江戸時代の新井白石、吉田松陰なども取り上げられているが、明治維新以降の人物に重点が置かれている。「朝鮮侵略思想」というテーマからすれば、当然のことであろう。
これほど多くの人物(36項目、37人)を取り上げて、その朝鮮観を論じるのはたやすい仕事ではない。しかし、金玉均に関する大著を執筆し、関東大震災時の朝鮮人虐殺や日本人の朝鮮認識に関わる資料集を編集してきた著者が、日本人の朝鮮観を論じるに充分な幅広い知見を持っていることは、多くの研究者の認めるところである。その意味で、著者でなければ成しえない仕事であるといって差し支えない。
本書は、著者の知見が充分に生かされ、基本的な歴史事実、各人物の経歴と思想がエピソードを交えながら興味深く論じられている。新聞に連載した文章を新書の形式で刊行したものだが、コンパクトな本であるにもかかわらず重要な史実が満載されており、入門書のように見えながら、専門研究者にも示唆を与えるところが多い。
とはいえ、本書を通読してみて、いくつか気にかかった点もある。
まず、取り上げられた人物が、特に近代では政治家に偏っていることである。福沢諭吉、与謝野鉄幹、新渡戸稲造、内村鑑三、木下尚江などの思想家・言論人も論じられているが、政治家が大半であり、そのために政治的な行動をあとづけるにとどまり、その「思想」があいまいになっている人物がいる。多くの政治家が吉田松陰に始まる「征韓思想」の系譜を引くものと位置づけられているが、それだけで彼らの「侵略思想」が解明できるかどうか疑問なしとしない。
第二に、個々の人物に対する評価については、異論が生じるケースもあろう。例えば、本書では内村鑑三を「侵略思想」の持ち主に分類しているが、それについては異なる見解を持つ研究者も多い。他の幾人かの人物に関しても同様である。他方で「知朝人士」と分類される人物についても、「侵略思想」に同調する側面があったことを見落としてはならないだろう。著者もこのような両側面があったことを指摘しているが、にもかかわらず「侵略」と「連帯」(あるいは理解)の2つに分類してしまうことには少なからぬ無理があるように思われる。
著者が述べるように、日本人の朝鮮蔑視の根深さは否定すべくもないが、しかし「根深さ」を論じるにとどまらず、なぜそうなったのか、他の可能性はなかったのか、などの問題をも考察しなければならないのではないだろうか。そうしてこそ、蔑視観を克服する糸口を探ることができるからである。
近代日本の朝鮮侵略・アジア侵略を日本国家の生き残りのためにはやむを得なかったとして合理化しようとする風潮が広がっている昨今、歴史の真実を見つめようとする者にとって本書が貴重な1冊となることは間違いない。
(京都大学助教授・朝鮮近代史)