幻の強豪¢蜊纈ゥ鮮高校サッカー部
                       
藤岡市立小野中学  小林祥太(1年)

 夏休みの間、あちらこちらでスポーツの大会が行われています。中学校総体や高校の全国大会(インターハイ)もその1つです。血のにじむような努力と練習の成果を悔いのないように力いっぱい発揮するときです。

 ある日、僕は、小さな新聞記事に目が止まりました。それは高校サッカー、インターハイ第3日、大阪朝鮮高校とサッカーの名門、東京の帝京高校の対戦の記事です。その小さな見出しは大阪朝鮮高校のことを「幻の強豪」と表していました。「強豪」ならわかるけれど、「幻」って、どういうことだろう。僕が新聞を読むのは普段はテレビの番組欄だけですが、「幻の強豪」という文字がとても印象的だったので、目がくぎづけになったのです。ところが、読み進むうちに分かったのは僕が考えていたヒーロー的なものではなく、とてもつらく、くやしい思いをした「幻の強豪」ということでした。

 学校教育法というきまりでは朝鮮の高校は高校ではないのだということです。高校なのに高校でない?! いったいどういうことだろう。僕は中学3年の兄に学校教育法について、聞いてみました。兄は公民の教科書で調べてくれました。でも、学校教育法の資料は見つかりませんでした。でも、教育基本法という資料があったので、調べてみることにしました。

 その中の第3条、「教育の機会均等」では、すべての国民は、等しく、教育を受ける機会を与えられて、人種、信条などで教育上差別されない、と書かれていました。朝鮮高校は朝鮮の人たちの高校だから?! 日本人ではないから?! そんな理由で朝鮮高校は高校なのに高校ではないというのだろうか、日本にある高校なのに? 僕にはぜんぜん理解できませんでした。

 朝鮮高校は1955年以来、1996年までの約半世紀の長い間、全国大会への道すらも与えられなかったのです。戦争でたくさんの朝鮮人を強制連行して、ひどい仕打ちをしてきたのは日本です。在日朝鮮人が現在もたくさん残っているのは、このときの戦争のせいです。僕たちは友達とケンカをしても、その後、お互いに「ごめんね」と謝って、またいつもの仲良しにもどります。しかし戦争が終わって、半世紀以上もたっているのにまだ本当の仲直りができていないなんて、悲しいことだと思います。

 なぜ「幻の強豪」なのか。それは、大阪朝鮮高校の金主将やこの日出場した3年生も、大阪府最強と言われた中学3年のときに、大会に参加すらできない悔やしい思いを味わっていたからです。また、さらには過去に選手権で全国優勝したチームに練習試合で勝ったこともあるからです。全国大会という記録誌には朝鮮高校、朝鮮中学はのってはいないけれど、本当は、とても強いチームだということがわかりました。

 僕も毎日、部活動をがんばっています。なぜ、がんばるのか。それは、勝ちたいからです。そして、まずは県大会に出場したいからです。何の目的もなく、何の成果も得られないのに、ただひたすら練習に打ち込めるはずがありません。

 対帝京戦の試合はPK戦で3対4と敗れ、全国大会初勝利は逃しましたが、帝京9本に対して大阪朝鮮高校のシュート数は20本。今までの熱い思いが、この一方的な攻めに表れているように僕は思います。「全国大会への思いはどこにも負けない」。全員の気持ちを代弁した金主将の言葉にも熱いものをひしひしと感じました。長い道のりだったけども、歴史的一歩になったのです。

 理屈ではなく、心の中で捨てきることのできない悲しみや憎しみが国と国や人種によって残っていて、まだ解決できない問題がたくさんあるのは知っています。でもせめて、僕はスポーツの世界だけでも差別なんてあるべきではないと思います。それはスポーツは実力の世界だからです。スポーツは同じ条件のコートの中で同じルールに基づいて行われるものです。だからこそ、みんなが平等に参加することができて、力いっぱいに試合に臨むことができるものだと僕は思います。

 大リーグのソーサ選手とマグワイヤ選手が同じくらいのすごいホームラン数を打っても、出身地や人種の違いで、応援に差がありました。でも、ソーサ選手もマグワイヤ選手も一言もそんなことは口に出したりはしませんでした。それはスポーツは実力の世界だということを2人ともプロとして、知っていたからだと僕は思っています。

 大阪朝鮮高校も、次の目標に向かって、より強くなってほしいと僕は思います。次は「幻」という文字ではなく、強豪大阪朝鮮高校でトライです。僕はこの朝鮮学校についてだけでなく、生活の中でも人種や障害、性格などで人を差別しない意志を持ち続けたいと思います。