植 民 地 支 配

今もひた隠す日本政府/朝鮮人強制連行の実態

人強制連行真相調査団は強制連行者名簿を各地で積極的に公開した
(1991年、大阪)

名簿公開1割に満たず
加害責任逃れ、調査せず打ち切り

 既報のようにこのほど公開された「岡山県知事引継書」(7日、朝鮮人強制連行真相調査団発表)には、県下の「計画輸送」の実態が明らかにされていた。「計画輸送」とは、日本政府が敗戦後、強制連行した朝鮮人の補償請求を退けるため、本国に送り返そうとした計画だ。岡山県下の計画輸送の数は「1万6362人」(同引継書)だった。今回の資料公開は、総聯岡山県本部と同調査団の要請で実現したものだが、その一方で、日本政府が過去の犯罪をひた隠しにしている姿勢を浮き彫りにしている。過去の事例から変わらぬ日本の姿を見る。

政府発表上回る40万人の名簿

 日本政府は内外の世論に押されて1990年8月、強制連行の名簿目録を初めて発表した。名簿数は約6万7000人分で、約150万人といわれる朝鮮人強制連行者の1割にも満たなかった。にもかかわらず、「できる限りのことはやった。調査は終了した」(若林之矩職業安定局長、当時)と事実上の終結宣言。調査期間はわずか2ヵ月だ。

 しかしその後、民間グループや研究者の手によって次々に新たな名簿が発掘され、調査打ち切りに対する批判の声が高まるや91年3月、民間発表の分を追加した約9万人分を発表し、再び調査を打ち切った。名簿は南朝鮮に渡されたが、その内容は日本ではいっさい公開されておらず、閲覧もできない。

 本来、名簿の調査・収集・公開は強制連行の経緯からして、日本政府が責任を持って行うべき性格の問題だ。したがって日本政府には真相を究明しようという姿勢と誠意が最初から欠如していたとしか言いようがない。

 真相調査団は、日本政府に徹底的な調査を迫る意味で91年10月、日本政府の公表数を上回る約12万6000人分の名簿を初めて公開し、全国各地で本人や遺族の確認を行った。1972年に結成された同調査団は、日本政府が隠す強制連行の事実を発掘し、植民地支配の実態を明らかにしてきた。

 公表された名簿は、20年に及ぶ調査団の地道な調査の結晶で、日本各地や南北朝鮮から収集した34点。約10万人分が日本政府の名簿とは違う調査団独自のものだった。

 調査団はその後も名簿探しに地道に取組み、現在では40万人の名簿を探した。これは日本政府が一切公開していないものだ。

33万人の未払賃金、法務省にそのまま

 法務省には、今でも日本の炭鉱鉱山や工場に強制連行された朝鮮人に対する未払賃金が供託されたままになっている。

 解放後の46年、厚生省は、在日朝鮮人団体による日本企業に対する補償要求を退けるため、法務省の前身である司法省と協議、各地方あてに朝鮮人労働者の賃金や退職金、積立金などを一括して供託することを企業に指導するよう求める通達を出した。

 91年、駒沢大学図書館では、日本製鉄(現・新日鉄)が敗戦直後に作成した「朝鮮人労務者関係」と題したつづりが調査団によって発見されたが、そこには朝鮮人労働者約2800人分の供託名簿が載っている。供託金は約42万円。1人当たりの平均は150円だ。

 朝鮮経済統計要覧(1949年版)にある敗戦当時の朝鮮人労働者数「32万9000人」に150円をかけ、物価スライドで換算すると、合計2900億円分の未払賃金が法務省に保管されたまま、ということになる。強制加入で天引きされた厚生年金もそのまま放置されている。

 しかし、法務省は「供託の消滅時効は10年。今、供託金の払い戻し請求があったにしても応じられない」とつっぱねる。

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 朝・日国交正常化交渉の場で日本政府は、「補償の要求は、被害の事実関係を裏付ける客観的資料が必要だ」(第4回会談、91年)と朝鮮側に資料を提供することを求めた。しかし、次々と明るみになる日本の戦争犯罪資料は、この主張が「本末転倒」なことを証明している。                                                         (張慧純記者)