取材ノート
わすれまい、在日の原点


 本紙連載中の「わがまち―ウリトンネ」の取材のために、東京・荒川の三河島を訪れた時のことだ。

 案内役を買って出てくれたある同胞と話をしている内に、偶然、私の祖父と大の知り合いであったことが分かった。その人も祖父も民族運動に参加し、朝鮮の分断に反対してたたかったのである。

 私が孫と分かった途端、他人行儀だった彼の態度は一変し、親しみを込めた口調に変わった。呼び方も、それまでの「トンム(きみ)」から「ノ(おまえ)」に。「おまえと呼ぶのは、会えてうれしいからだ。おまえのハラボジ(祖父)の事が思い出されるよ」と感慨深げに話していた。

 その後、祖父の思い出話に花が咲いたのは言うまでもない。76歳になるその人にとって、私はまさに孫のような存在に思えただろう。ましてや祖父との関係を考えると、他人とは思えなかったらしい。

 私は祖父を知らない。両親が結婚する前にすでに亡くなっていたからだ。しかし、祖母や父から話を聞き、誇りに思っていた。だから、祖父を知る人から話を聞けたことは、それだけで貴重な経験である。

 「ウリトンネ」には「20世紀からの伝言」というサブタイトルがついている。在日1世が歩んできた道程を、21世紀を生きる次世代にも伝えたいとの思いを込めた。

 なぜトンネができたのか、ひいてはなぜ朝鮮人が日本に住むようになったのか。そういう在日の歴史がだんだん風化されてきている。

 だが、原点を忘れてはならない。これは、取材をする過程で1世の話を直接聞く機会に恵まれた私自身への戒めでもある。                                (文聖姫記者)